他人の為に生きると幸せになれる。
これは、社会規範や倫理を民衆に守らせる為に謳われているのではなく、オキシトシンという脳内ホルモンの効果を根拠として謳われているらしい。
若い時はともすると利己的になりがちだ。自身の生命維持が最優先なのだから、パンが一つしかない時、救命の浮き輪が一つしかない時、「それを他者に譲らない権利」を認めて良いと思う。譲れるのはきっと相手が肉親の時に限られるかも知れない。中には自分の取り分をゼロにして、他人に譲るも者もいるかも知れない。そういう人は素晴らしい。死んでも天国か極楽浄土に行けるに違いない。自分は「他人に譲る」と自信を持って言えない。
自分も人の親に成れば、価値観のコペルニクス的転回が起こるのかも知れないが、正直、今は自分の為に生きている。
それではオキシトシンが出ないからか、その他の要因かわからないが、確かに虚しい時もある。
会社に行き、言われたことをやり、毎月一定額が支給される。支給額は生活を豊かにするには不十分だが、生命を維持するには十分だ。一時、貧しい国の子供の教育費を寄付していたことがあった。恐らく自分の幸せの為に、という不純な動機で。結局、家計を圧迫する月もあり辞めた。野良猫に餌をやるくらい偽善的なことをしてしまったかも知れない。その子も、その慈善団体もそんなことでは傷つかないのに、何となく後ろめたい気持ちになった。
ある時、恋人が欲しくてマッチングアプリを弄っていた。
一昔前の出会い系サイトと異なり、一定本気で出会いを探している者も少なくない。マッチングアプリで恋人を見つけたとか、結婚したとかいう知り合いもちらほら居る。アメリカではオンラインの出会いは全体の3分の1を占め、幸福度はその他の出会いより高いというから、一切バカにできない。オフラインから出会って結婚しても、文句を垂れながら結婚生活を続ける者も居れば、オンライン経由で知り合い、幸せそうなカップルも居る。勿論当人同士がハッピーであれば、私は、カップルの出会い方にとやかく言うつもりはない。
私は少し歳の離れた20代の女性とやり取りしていた。一度ランチをしようという話になり、待ち合わせをした。待ち合わせ場所に行くと、SNOWで加工されまくったプロフィール写真とは似ても似つかない女性に声を掛けられた。
思っていた顔と違ったので、私は一気に消化試合モードになった。とは言え、悪い子ではなかった。色々話を聞いたら、持病があるらしかった。私の母親も病気が見つかったばかりで、他人事にするのはやや困難だった。
その後も連絡を取り合ったが、高確率で彼女は体調が頗る悪そうだった。病気の治療費や、薬代でかなり家計は苦しそうだった。
彼女から、私にお金を貸して欲しいと依頼があった。演技なら大したものだが、彼女の様子から、体調が悪いのは間違いなかった。嘘でも真でも、困っているなら助けようと思い、金を貸した。当然返金は期待していない。
忘れた頃に、またお金を貸して貰えないかと依頼があった。気づけば私の家計もかなり圧迫していた。私は最後の手切れ金を振り込み、彼女のラインをブロックした。
一時、彼女の生活が楽になったならそれで良い。
普通はこれをどう思うのだろう。私思いの友人なら、「変な女だったら、すぐ縁切りなよ!」とアドバイスをしてくるだろうか。或いは、「自分の問題と他人の問題を分離できていない」と、アドラー心理学を以って諭されるだろうか。
どこの馬の骨かわからないままで終わったが、目の前の人が自分より飢えているのが明らかだったので、自分のパンを渡したし、自分の方が泳ぎが得意なのが明らかだったので、浮き輪を譲った。
でも彼女は次のパンを稼ぐ余力も無かった。私は、結果自分のパンが無くなるのが嫌で、以降のパンを彼女に与えなかった。彼女は最悪死んでいるかも知れないし、今も頑張って生きているかも知れない。
以上より、私は利己的な人間であるし、他者の利己的な言動を否定しない。
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