痘痕のヴィーナス

自分の才能を過大評価した私は、いや、母の甘やかしを享受していた私は、就職ではなく、大学院への進学を許可された。大学側は許可した訳ではないので、入試を突破する必要がある。同じ大学の院に進むのであれば、ほぼエスカレーター式に進学できたが、無謀にも天下の芸大を志した。

当時の私の作風は、兎に角ダイナミック。3メートル級の巨大像を、卒業制作として作ることに決めた。

我ながら良い作品ができたと思ってい「た」。

粘土で造られた像はそのままでは、作品として形を維持できない。その粘土を窯で焼くか、別の素材で置き換えるかの二択だ。一般的には石膏に置き換えられる。私も例に漏れず、その技法を選択した。

門外漢からすると、ブロンズ像の方が見慣れているかもしれないが、あれは公共事業で設置されているからその予算があるわけで、一作家、まして学生が賄える予算の範疇を超えることになる。

粘土を石膏に置き換える工程を総称し、「石膏取り」と呼ぶ。工程の詳細の説明は、本題とずれるので割愛するが、出来た像のネガを石膏で取り、そのネガを基に、ポジも石膏で「プリントする」のだ(フィルム写真を知らない世代の読者へ、伝われ!)。

そう、わたしの卒業制作は順調なはずだっ「た」。

石膏取りの段階に入ると、私の制作の時間配分に、大きな誤算があったことが明らかになって来た。通常の作品より高さが2倍近くある私の作品は、どの工程も2倍時間を奪われた。高さが倍なだけなので、3次元作品である故、もっと手数を奪われたかも知れない。

粘土の造形も、石膏取りも順調に遅れた。

最終的に、「ネガ型」を割り、中の「プリント」された像を取り出す。作者の意向にもよるが、大抵着色されて完成となる。

教授陣へ発表を行う前日には、「ネガ」を取り壊すだけになっていた。だが、「間に合うかも知れない」という淡い期待は直ぐに失せた。

「ネガ」も「ポジ」も石膏の場合特に、型同士が癒着しやすいため、「プリント」面に、分離の膜を石鹸で作る。その濃度か、厚みが足りなかったらしい。割り出し作業は難航し、「ヴィーナス」と名付けられる予定だったその像は、痘痕のような肌を晒し始めた。

デッドラインと残りの作業時間の計算が不能になった私は、もう助けも呼べなくなっていた。気づけば見かねた教授に指示されたらしい後輩たちが、割り出しを手伝っていた。

発表までに完成しなかった。

本当は大学院受験も、まして卒業も出来る資格は無い筈だった。結果から言うと、成績を付けるのは自分の研究室の教授であり、彼の情けにより卒業に至った。

明らかに未完の「痘痕のヴィーナス」の発表を教授陣、及び先輩、後輩、同級生に対して行うという「公開処刑」を終えた私は、

無事にその年の受験に失敗した。

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