寿司屋の修行

有難いことにブログの感想やイイねを頂戴している。

この文体からか、エピソードからか、私の不器用さが感じられるそうだ。エピソードはそんな感じだが、文体は一生懸命かっこつけているのだ。が、どうしても本質が滲み出ているのか、読者の観察眼が優れているのか、そういった印象を与える様だ。

そう、淡々と、月日、年月が流れる様になって、私自身、忘れかけていたが、私は不器用なタイプの人間だ。いや、正確に言うと、「不器用なタイプと言われる」人間だ。完全に自覚している訳ではなく、そう言われるから、そうなんだろうと思っている。

「天然」と表現されることもあるが、ほぼ同義で使用されていると思って相違ないだろう。

自分の不器用エピソードを語ろうと思うが、的を外しているかも知れない。何せ、不器用なのだから。

思い出すだけで嫌になるが、何の仕事をしても向いていなかった。

一時、回転寿司で働いていたのだが、なかなか上手く行かなかった。メニューと、それに対応する皿も覚えられない。初日からおばちゃんに怒られながら仕事をした。私はメニュー表を持ち帰り、ネタの絵とそれに対応する皿の色を色鉛筆で塗り分けた。

そのおばちゃんは必要以上に怒る人だったが、周りの大人(自分も立派な大人だったが)はそれに気付いても、あまり助けてはくれなかった。

ホールでもできは酷かった。忙しい時にうっかりならわかるが、客が1人もいない時間帯にグラスを一度に複数割ったりして、店長を唖然とさせた。

キッチンもホールも大してできないのに、何故か兄さんたちに混じって、握りをやる様指示された。注文は口頭でも、紙でもやってくる。カンパチ、ブリ、ハマチの見分けもつかない私は、注文にミスがない様、丁寧に作業して、順調に注文を積滞させた。益々私は緊張し、最終的にホタテを炙るのに、プラスチックの皿ごと炙った。

店長は以後も機会を見て、握りをやる様に私に指示したが、丁重にお断りした。

ひとつ歳下の女の子のスタッフにも、仕事が出来ず相当嫌われた。今思えば、月のバイオリズムに機嫌が大きく左右されるタイプで、彼女の調子が悪い日にヘマをやると、殺されるのではないかと思った。この手の女子の地雷のど真ん中を踏むことにおいて、私の右に出る者は居ない。

仕事ができないくせに、無駄に教育大学卒のスペックを持つ私を揶揄してだろう、私は「センセイ」というあだ名で呼ばれた。

気持ちはわからないでもない。今の会社に居るひと回り近く歳下の男の子に対し、周りの社員は、きっと同種の評価をしている。お世辞にも仕事が出来るとは言えない、いかにもボンボンといった感じで、質問も的を射ない。お勉強はできそうで、いつも昼休み読書をしている。

そんな彼を、私は他人事とは思えない。私自身、認めるのが嫌だが、きっと私以上に、母親に過保護に育てられたに違いない。もし彼が私と同じ人種なら、時間は掛かるが、少しずつ周囲に認められるに違いない。一度、昼ご飯を一緒に食べ、その素直さに好感を持った。

回転寿司屋では滑稽にも、何かやらかせば、「センセイ!」と怒られた。怒られるのは嫌だったが、辞めるわけにはいかなかった。ワーキングホリデーで海外に行く予定だった私は、飲食業の実務的な経験と、向こうで使う履歴書に、「rotating sushi bar」の経歴があることを嘘なく書きたかった。

縁もゆかりもない海外で働くには、日本食レストランで働くのが手っ取り早かった。その為、日本の回転寿司での勤務経験は有利に働くと考えたのだ。

補足になるが、私は当時、まだアーティスト症候群の呪縛を免れていない。「芸大がダメなら海外だ」という素人が描いたサクセスストーリーの主人公を務める必要があった。

以上の理由より、幾ら向いていなかろうが、怒られようが、回転寿司屋を辞めるわけにはいかなかったのだ。

相変わらずドジでノロマだったが、いつしか仕事には慣れた。

半年を過ぎた頃、札幌雪まつりの模型制作、及び実制作に携わる予定だった為、退職を申し出た。

私を一番怒ったおばさんは、何故か私の退職を惜しんだ。

最後まで店に馴染めなかった私は、喜んでその店を去った。

今、もうその店はない。みんなどうしているだろう。

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