胆振東部地震

恐らく、これを書き終わるかどうかという時間に、胆振東部地震から2年経つことになる。

私たち家族にとって、あの地震はかなりインパクトのあるものだった。

いや、あの時北海道に居た者は、過去のどの地震よりインパクトを受けたに違いない。初期微動P波を身体で感じたかどうかくらいのタイミングで、スマホが地震を知らせる。コンマ何秒か後のS波で、それのヤバさを感じた。引き続きスマホは私に地震を知らせるが、一体、だからどうしろと言うのだ。

揺れが収まり一息すると、一定の周波数の音を出し続け静寂のふりをしていた、冷蔵庫の音が消えた。

そうか、これが本当の静寂か。意識に上らないストレス要因が、排除された時に初めて意識された。

危機管理能力の高い者は即座に買い出しに出かけたらしいが、私は「電気がない今一番の時間の有効利用は睡眠だ」と、目先の欲求を優先するタイプだ。その日、休みだった私は、昼まで寝た。適当にダラダラ過ごしていたら、電気が復旧した。私の住むエリアは札幌でもかなり早い段階で、電気の供給が再開された。医療機関が近いとか、諸々の理由により、優先されたのかも知れない。

後日、深夜買い出しに出掛けた者から、電気の無い札幌の夜空の美しさを聞き、ちょっぴり後悔した。

諸々落ち着いた後日、指示に従い出社した。結論、我々の積滞したタスクの一部を西日本の支社が肩代わりしてくれた。とはいえ、現場は混乱した。地震により営業停止した分の「借金」の量とその減らなさに、皆閉口した。

我々家族がやや特殊なのは、厚真町出身だと言うことだ。正確には、「私の父世代以上は」だ。前日までの台風による地盤の緩みに、地震がキックとなり、多くの家屋とその中の住人を土砂が飲み込んだ。

後日わかったことだが、空き家となっていた、高祖父以来の我が家も土砂が浚ったことがわかった。私にとっての正確な実家では無いが、多少の思い出もあるし、置き場所に困った卒業制作も保管してあった(不謹慎だか、処分の手間は省けたと思っている)。

どなたかは存じ上げないが、当時、ドローンで撮影したものらしい。うちの裏には浄水場があり、右手にある円柱型の建物がその一部だ。

私がわざわざ描写せずとも、道民はそれぞれの「あの日」を鮮明に描けるはずだ。

今や、全世代が共有できる流行歌は無い。共有可能な思い出は、災害か伝染病とは皮肉ものだ。

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