モデル事務所に所属して、実際に起用された案件は1件のみ。「経済的な」本業の合間を縫わなきゃいけないのと、クライアント様からご指名頂けるのは稀で、多くはオーディションというコンペティションで優勝しなくてはならないという、厳しい世界なので不満なんてものは無い。
とは言え、箸にも棒にも爪楊枝にも藁にも引っ掛からないのも癪だし、この世界に足を突っ込んだからには、自分のペースで良いから前進したい。
事務所のオーディションレッスンなるものがあるので、先月から受講している。所謂演技レッスンだ。発声練習、早口言葉、ジャスチャーゲーム、その他実践的なシチュエーション演技。
本日のレッスンは、細かい練習はなく、一コマ通してある台本の演技を繰り返した。
高校の卒業式の最後のホームルームにて、教師が、生徒に10年後が期限の宿題を出すシーンだ。
教師は生徒に、自身がどんな大人になっているかと投げかける。生徒たちは、口々に、自分たちの嫌な大人像を並べ、大人になりたくないと反応する。
「疲れている大人。嘘つき。お金。悪口。他人の不幸の嘲笑。他人の目。」
教師役の私達大人モデル(キッズモデルの対義語としてアダルトモデルなるワードが存在するか確認したら、似て非なるもの達が検索結果として出てきたので、一旦この語を使用します)に与えられた、肝となるセリフが以下。
「人って不思議なことに大人になると、かつて自分が子供だったことを忘れるし、子供の頃思い描いていた夢も簡単に忘れてしまうんだ。魔法の言葉を唱えて…。」
「『しょうがない』、『社会が悪い』、『みんなしてることだから』そんな魔法の言葉だ。これから先、みんなが行く先にはたくさんの壁があるぞ!壁を乗り越えられなかった時つい、魔法の言葉を使いたくなる。だけど、それを使った瞬間に君たちは君たちの嫌いな大人になる。」
この教師(若しくはこの脚本家)の持論の正否はともかく、この生徒達が嫌っている大人像はグサグサ胸に突き刺さる。結講自分がそんな大人かも知れないからだ。
片足突っ込んだ教員の道を割とすぐ引っ込めた私の演技は散々だっただろうが、当時の自己矛盾を思い出した。いや、今もそうである可能性は拭えないんだが。
生徒が憧れる存在である教師が輝いていなければ、説得力がない。教師がイキイキ働いていなければ、生徒達は、いずれ解き放たれる社会や、いずれ彼らがなる大人に成りたいと思いようがない。私が足を突っ込んでいたのは1年程度だから、彼らを魅せるスキルも経験もなかったと自分を慰めることにするが。
ただ、マイノリティな生徒にはモテた。昼休み美術室を解放し、黒板に自由に絵を描かせたり、窓際に転がっているガラクタで積み木をしたり。来客は主に、不登校を克服した子、発達障害を持った子、コミュニケーションの苦手な子、リスカ跡がある子。
私自身、マイノリティの自覚があるので、基本的に他人に寛容でいるつもりだ。「優しい」と好意的に表現してくれる人もいるが、世間に紛れている「自分みたいな不器用な人間」を受け容れないと、自分もきっと受け容れてもらえないという、なんとも消極的な理由が生んだ「優しさ」だと思っている。
教員生活は、本当にハマらなくて苦しんだが、昼休み居場所のない彼らの居場所を作ってあげられたことが唯一の誇りだ。
よっぽど教員に向いていないと周りからも思われていたのだろう。心優しい先生が「教員に拘らなくてもいいと思うよ」と、英語の教員免許を取る口実で実家に戻った私に手紙をくれた。
あなたは胸を張って「大人っていいだろ?」と子供達に言えますか。その宿題、私はもう10年延期して頂けないでしょうか。
すみません。次回は、もう少し演技に集中します。

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