本件、情報が文字通り「NEW(S)」過ぎて、自殺との断定はできないので、「一般的に自殺なんて悲しい出来事が無くなれば良いですよね」という話をすると思って聞いてください。
「死にたい」と思ったことはありますか。
私は多分ない。
「多分」と言ったのは「死んだら楽になるだろうな」と思ったことはあるからだ。
大学院浪人の2年目。1浪目で全てを出し切って、恐らく燃え尽きていたが、他の道も無く(視野が狭くなっていたので本当は有るが、本人の主観的には)、継続して浪人生活を送っていた。志望校を諦めて、彼女にも振られ、「大事な人を同時に二人亡くした様な心境」と言ってしまうと言い過ぎかもしれないが、「絶望」と言う言葉が似合っていた。
流石に全くバイトもしないで浪人生活を送るのも申し訳なかったので、憧れていた「ビルの窓拭き」の求人に応募した。学生時代はワンダーフォーゲル部に所属していた。只のトレッキングだけではなく、夏はロープクライミングが必要な沢登りをしたり、冬はスキーで登り、氷点下のテントでの寝泊まりもした。そんな経験もあり、ロープを操り、ビルの窓ガラスをワイパーで綺麗にしていく、ガラス清掃に格好良さを見出した。ガラス清掃員の書いた小説なんかも読んだ。
面接に呼ばれた私は、指定のススキノの外れにある汚いビルの地下にある事務所のドアをノックした。作業着の40くらいのおっさんに面接され、最初の現場の日付が決まった。面接結果は後日知らされるものと思っていた私は、すんなり採用が決まり肩透かしを食らった。
後からわかったが、この面接官がほぼワンマンで現場を回していた。つまり、コイツに気に入られるかどうかで、仕事のやり易さが決まる。名前は忘れたのでAさんと呼ぶ。
初現場は、年度の切り替わりだったので、地方の小学校の床のワックスがけの仕事だった。ガラス清掃を謳っていたが、建物の清掃全般を請け負っていた。初めに、汚れや古いワックスを溶かす溶剤の様なものをブチまける。私みたいな下っ端は、長い柄のワイパーでその汚水をチリトリで掻き集め、プラスチックバケツに集めていく。一定距離進むと、自分の来た道をモップ掛けする。更にその後を、汚水をバキュームする掃除機が追ってきていた気がするが、記憶が曖昧だ。
昼飯を取った後、汚れを取った後の廊下が乾いたら、ワックスを掛ける。Aさんがワックス掛けをする、デカイ円盤の付いた機械を操作する。私はその作業が円滑に進む様に、それが電源を取るコードを避けたり、束ねたりした。丁度、カメラアシスタントが、カメラマンが操作するカメラのケーブルを携えている様に。
その初現場の帰りの車で、「やっぱり美術やってるから道具の扱いが上手いね」と褒められた。その評価が段々落ちてから、私はAさんの言葉の暴力に追い詰められていく。
結論、私はその仕事に向かなかった。必要最低限の筋力もなければ、技術もなかった。最初私一人だった従業員は、いつしか三名に増えていた。
Bさんという、私の一つ上の24歳女性。どうやら子供を産んだばかりらしいが、家計の事情か、シングルマザーなのか、仕事を共にした。何故この仕事なのかは全く謎だった。まだ母乳をあげていてもおかしくない時期だったとは思うが、休憩時間はAさんと同じく煙草をふかし、いつも顔色が悪かった。只、すっぴんだったからかもしれないが、その顔色の悪さが煙草に起因している様に、私には見えた。同じ要因で、年齢の割にほうれい線の存在感が強かった。
もう一人のショートカットの女子大学生は、柔道をしていて体力に自信があるらしかった。「女子大生」と書いてしまったが、そのワードで想像される量産型の女の子とは似ても似つかないキャラクターなので、谷亮子に描き直して欲しい。
彼女らが女性だからか、私の技術が彼女らより劣っていたからか、まあ、普通に後者だとは思うが、私は頻繁に怒鳴られた。だが恐らく、Aさんは、彼女らが同じクオリティで仕事をしても、注意はするにせよ、私に対する様に怒鳴りはしないだろう。
この辺りは、また別の記事を書きたいのだが、私は行き過ぎた男性社会が苦手だ。嫌いだとまで言っていいかもしれない。
ウチは業界で最小最弱の会社で、よく他社の人手が足りない時、その現場に派遣された。
「あれ?Aさん。また、若いの辞めたんですか?」
「最近の若いのは根性無くてダメだね。」
心の底から、「お前のせいだろ」と思った。
それまでの短い人生で、「物事は努力や忍耐により一定の改善は可能だ」と思っていたので、自分の技術の向上のしなさや、Aさんのパワハラに何とか耐えていたが、やはり限度があった。
本業の彫刻の制作の為、大学のへ向かう電車を待っていた。
「あれに飛び込んだら楽になれるんだろうな」
2回の不合格、失恋、職場のパワハラを掛け算した心理状態の私に、一瞬そんな考えが過ぎった。
私は飛び込まなかった。
まだ自分が可愛かった。自分の状況は確かに苦しかったが、どこかこの悲劇に酔っている自分を俯瞰している自分が「お前悲劇に酔っているだけで自殺する勇気とかないだろ」と言っていた気もする。
最後の現場で、BさんがAさんの隙を見て私に話しかけた。
「大丈夫?辛くない?」
「今日を最後に辞めようと思います。」
「ならよかった。私、Aさんがあなたに怒るの嫌だったんだよね。」
休憩中の車内で、Aさんに退職を申し出た。Bさんも「谷亮子」も居たが、このタイミングしかないと思い意を決した。
「Aさん、お話があるんですが。」
「何よ。」
「これ以上働いてもご迷惑しか掛けないと思うので、本日で退職させてください。」
「そうだな。Bさんや『谷』さんに比べて、ずっと上手くならないもんな。」
緊張で、綺麗に声が震えた。下手(したて)に出て退職を勝ち取った。
Aはバツ2らしく、よくそれを誇らしげに語った。ここからは、私の全く勝手な想像だが、Aは過去2人の女性を家庭内暴力で疲弊させ、バツ2のスペックを博した。彼女らが離婚を切り出す時、私と同じ様に声を震わせたのかも知れない。
余談だが、女性の「性的興奮」と「恐怖」を受容する回路は共通しているらしい。世に溢れる、DV男とメンヘラ女のエンドレスな別れと出会いの繰り返しは、お互い「ダメ、ゼッタイ」とわかっていながらまた手を出してしまう危険ドラッグなのかも知れない。
後日、指定の現場に仕事道具の返却に行った。Aに道具を渡し、「短い間でしたが、お世話になりました。」と心にも無い挨拶をした。それをわかってかどうかは知らないが、Aは華麗にそれを無視。Bさんも「谷」さんもそれに倣った。これからもAの下で働くなら妥当な判断だ。
その足で事務所に行き、事務員に「退職届を出したいんですが」と伝えた。
「Aと合わなかった?辞める系の人は大体そうなんだよね。」わかっていてそのアラートを上げないのも如何なものかと思うが、この矮小企業では、全てに目を瞑り、己のロールのみ演じるのが生きる術なのだろう。
「あいつのことは忘れてください。」その事務員の微妙に優しさとは受け取れない、最後の気遣いに「只単に職業選択に失敗しただけ」であることを悟った。
労働環境としては最低だった。パワハラに加え、偶に、「使用済み雑巾の洗濯」というサービス残業をやらされた。忘れかけていたこの経験だが、これと比較したら今の会社は、多少の不満はあれど、限りなくホワイトに近い。いやウソ。不満は無い。妥当な給料かそれ以上に貰っている。
当時、私は幸いにも実家に居て、本件について愚痴もこぼした。大学の後輩にも話を聞いてもらった。
この時期だったと思う。何の話の流れだったかは忘れたが、親父に「いっそ死んだら楽になれるのかな」と悪い冗談にも程が有る質問を投げかけた。この悪るすぎる冗談に、「折角育てたのにそれは悲しいな」という愛で返してもらった。親父を試す様な質問をしてしまって申し訳ないと思った。
自分を辛うじて客観視できた若干の余裕、私の愚痴を少しでも聞いてくれた周囲の人間や、「まだ自分が可愛い」と思える自尊心を持たせてくれた両親には感謝しなくてはならない。
視野の狭さは命取りだ。この仕事しかない。この仕事は辞められない。この人と離婚する選択は無い。この恋人が居ない人生なんて考えられない。
視野が狭くなった時、自分に森田一義の言葉を贈ろう。「んなこたない。」

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