心というものに手を触れてみる

芸術を囓(かじ)った者として、出来れば作品を通し、鑑賞者の共感/理解を得たいと思う。

こちらは心の中を正直に出力しているのだから、シンクロ率100%でなくとも、「なんか好きかも」で良いから、少しだけでも鑑賞者の心に触れられたらと願う。

英語で「私は感動した」を “I was moved” 又は “I was touched” と言う。

二つの用法の厳密な違いはさて置き、私の願い「鑑賞者の心に『タッチ』できたら」は、上記英文の通り、「鑑賞者を感動させられたら」とほぼ同義だが、感覚的には「触れる」が正確なワードチョイスだと思う。

近年、作品を発表する機会は少ないが、その限られた機会に、わざわざ足を運んでくださる方々、中には丁寧に感想をお寄せ頂ける方々もおり、大変有り難い。

その人の心にタッチするものが僅かでもあったのなら、そんなに嬉しいことはない。

普段は会社員として生活している訳で、当然、「私の行為全てが『作品』だ」なんて思う訳はないんだが、善意(少なくとも悪意なく)出力していいる言動が、理解して貰えなかったり、毛嫌いされるととても悲しい。

万人に好かれようなどと微塵も思っていないが、悪意のない言動が受け容れられないとシンプルに悲しい。これは自分勝手で、「悪意のない自分の言動は受け容れられるべきなのに、なんで受け容れて貰えないんだ」という怒りが形を変えた「悲しみ」である。

そう自分勝手で、その他人からしたら知ったこっちゃない訳だ。

コロナ別れした彼女に、別れの一歩手前で、今までの不満を纏めて頂戴した。

コロナにナーバスになる彼女を安心させようと「感染の確率は、交通事故に合うより低いみたいだから」とか、

コロナの影響で仕事が減った私に反し、仕事の特性上、寧ろ忙しくなって疲れて愚痴を零した彼女に「いいな、仕事あって」などと無邪気に言ったり、

そんなことが、彼女の気持ちを逆撫でしたらしい。

「悪気があって言った訳じゃないんだよね」と言い訳じみた事を言うと、「悪気がなければ何でも言って言い訳じゃないから」という回答。

世の中の「緊急事態」が我々の「合わなさ」を発露した結果となった。年頃の我々としては、早期発見に至り、寧ろそれで良かったのだろう。

仕事でも、チームの為にと積極的に発言/行動しても、「出しゃばり」と揶揄されてしまったり。

自分の中の恋人候補達へのアクションが、恐らく下手で、気持ち悪がられたり、警戒されたり(恋愛偏差値低めの自分にかなりの非があると思うが)。

教員時代も生徒に理解されず苦しんだ。こんなに皆んなの成長を願って頑張っているのに。恐らく、出力方法に拙さが目立ったのだと思う。どんなに理念/信念が素晴らしくても、それが伝わり、効果がなければ、それは無に等しい。

私の「善意」、「素直」、「正直」が受け容れられないことは多分にある。皆もそうなのだろうか。いや、私だけか。

「作品」ではないが、共感/理解は得たい。

自分が「正解」だと思う出力結果で、あなたにタッチできないのであれば、それはもう仕方がない。

私の伝えるスキルが足りないか、あなたの理解力が足りないか、私の「正解」がそもそも間違っているか、そもそも、少なくとも、今は分かり合える段階にいないか、

そのどれかだ。

どうか、私の生み出すもの達よ。今でなくても、未来でも、みんなでなくても、一人でも、

どうか伝わってください。

私の言葉があなたの心に触れた時、或いはその逆の時、更には、それが同時に起こった時、

少しだけ、「この世も捨ててものではないな」と思う。

あなたの心に少しは触れられただろうか。今日も読んでくれて有難う。

Leave a comment