残業過多で先日の2連休はとことんダラダラした。
このまま廃人になって死んでいくのだなと思った。が、休み明け10時間労働したのに体力が余っていた。で、ジョギングをしてから遅すぎる夕食を食べた。
どうやら、廃人になった訳ではなく、必要な「消極的休養」を適切に取っただけだった。ダラダラ過ごす自分を客観的に見て嫌になるけれど、恐らく、身体が「休みたい」と言っていた。
ご家庭、ましてお子様のいらっしゃる、社会的労働に加え、夫業/父親業(妻業/母親業)も担う方には頭が下がる。私のように、好きなだけダラダラするなど許されないかも知れないのだから。
昔、短期間だけ子持ちの方とお付き合いした。
ある日、彼女と、彼女の娘とショッピングモールに行き、彼女の子を遊びのフロアで遊ばせた。元気で悪戯っ子な彼女は、狭い家で持て余していたエネルギーを発散する様に、爆発的にはしゃいだ。
一定はしゃぎ切ると、休憩スペースで休憩をした。そこには睡眠時間の足りていないパパ達の屍が、其処此処に散見された。
わかります。お疲れ様です。
私も当時、昼は大学で勉学を、夜は塾で働いて帰りが遅く、そのせいもあり、体内時計は一般的な社会人より相当後ろ倒されていた。慢性的に、睡眠不足と疲労が溜まっていた。
大学の講師が言っていた「子供は早いうちに設けた方が良いよ。40過ぎてからの子育ては体力的に大変。元気を子供に吸い取られている気がする。」を、30歳手前の私は、既に理解しかけていた。
ショッピングモールの帰り道、私は、彼女の娘との遊戯でヘトヘトだった。
それぞれの家に別れた後、「子供と居ると本当に疲れるね」を彼女にメッセージを送ると、悪い方に受け取ったらしく、「私の両親も遊んでくれるけど、思ってもそんなこと口にしない。」と同意を得なかった。
「いつも大変だね」の労いのつもりだったんだが。
偶の休みを費やし、女子二人分のデート費用を捻出し、労いの言葉が上手く伝わらなかった結果、どっと疲れが決壊した。で、泥のように眠った。
「休日にダラダラしているパパ」状態の休日には、こんな過去のエピソードを思い出す。
或いは逆に、毎週末遊びに連れて行ってくれた、当時の両親のバイタリティと今の自分のそれを比較する。
「死ぬ時好きなだけ休める」と身を粉にして働いた回転寿司の店長、生徒の為なら日付が変わる頃まで授業や行事の準備をした先輩教師、「寝なくても死なない」と睡眠を削って学問や部活に励んでいた大学の後輩、
彼らは、もう少し、自分の身体を甘やかしても良かったのではないか。それとも、私のようにダラダラ延命するより、彼らのように命を燃やした方が良いのだろうか。
お世話になった先輩教師は数年前他界した。
私はまだ死ねない。金融投資するほど貯蓄はないが、自分の健康には投資をする。
疲労が過ぎると、却ってそれに気がつかないらしいので、どうか自身のお身体が「休みたい」と言っているうちに休養を。
多少、家事をストップしても誰も死なないし。どうせなら、みんなでダラダラすれば良いと思う。できるだけダラダラして、なるべくフリーライドして楽に生きたい。
では、以上を以って消極的休養に入る。

Leave a comment