弱音の許可

私自身の心身の評価は、

特別身体が弱い訳でもないが、強い訳でもない。

特別メンタルが弱い訳ではないが、強い訳でもない。だ。

大人なんだから、人様の世話にならず、自分の機嫌ぐらい自分で取りなさいと「大人」は言うかも知れない。

ある意味正論。だがある意味暴論。

まだ正気のうちにテキストで自分の頭を整理する。

ムキになって「病んでいない」宣言をしていたが、今日は「病み(或いは闇)」を認める。その方が安全な気がする。

年々日照時間に綺麗に反比例して気分が落ち込んでいる。

自殺であろうと、鬱であろうと、単一の理由で起きないのだ。複合的な要因で起こるのだ。

投稿を丁寧にフォローいただいている方はご存知だろうが、ここ最近ワーカホリックに労働し、休日は屍になっていた。そこに、残業の増え気味の私に、上司から「私の時間管理の甘さ」の指摘が入った。ぐうの音も出なかったが、極々自然な管理監督者の姿だ。が、何故かその指摘がきっかけで自分を蝕んだ。

別にその指摘は全く何でも無い。普段であれば何の遺恨も残さないコミュニケーション。それは飽くまで、この度のトリガーでしかない。

不必要に少しだけ高い自尊心、諦めたはずの夢、ここ数年上手くいかない恋愛、少し足りない収入、孤独が大好きな筈なのに少し多すぎるコロナ禍のひとり時間、身体的劣等感、労働疲労…

複合技だ。

「私を構ってください」と言う意味が1ミリも無いとは言わないが、どちらかと言うと反面教師と言うか、「その気(け)」のあり得る人に、どう人が病んでいくのか例示したいのだ。我が身にも、あなたの大事な人にも起こり得るのだと。

睡眠が足りない。

運動が足りない。

休息が足りない。

雑談が足りない。

結局、以前お付き合いしていた、メンヘラ(語弊があるがわかりやすいので)の方に助けを求めて連絡した。

同じ日本人同士でも「この人とは話している言語が違うな」と思うことも多いが、彼女とは同じ言語を話している安心感があった。当時は「またか」と思うほど彼女の愚痴を優しく聞いたが、4年後立場が逆転しようとは。

小一時間のテキストのやり取りだったが救われた。

男性の自殺率/数の方が多いらしいが、女性の社会進出(このワード自体古くてアップデートしたいが)と共に女性も増えているらしい。

ただ、我々男は「男なのだから弱音を吐くな」と言う言葉に苦しめられる場合も多い。女性は「弱音を吐けば周りの男性が助けてくれる」といった、甘ったれが多いなどとは全く言っていないし、思っていない。

弱音は吐かないに越したことはないが、やばい時には「助けて」と言って良い雰囲気がないと、いずれ自らの首も締める。そこに女も男もない。

その点うちの親父が弱音を吐いている所は、私も母も見たことがない。尊敬しそうになるので、ススキノに弱音を吐く場所があったことにしておく。

人に助けを求めてしまった言い訳を書いているが、それを許さないと言うなら、その世界は閉じ、あなたが藁をも掴みたい時、その助けは許されない。

大切な人に、他人に、あなた自身に、弱音を吐く許可を与えても良いと、私は思う。

あ、話を聞いてくれてありがとう。

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