一定、恐らく、「鬱病」と命名された者としては、かなり模範的な回復曲線をグラフに描いているであろう、と思う。
これは、親友達、上司、両親、家族、医者、全方位に恵まれたからに他ならない。
それを発症する者は、私含め、八方塞がりどころか、全方位が塞がる。正確に言うと、全方位が塞がっていると「認知が歪む」。親友に連絡したことが精神科の予約に繋がった私としては、「全方位塞がり」は妄想だった。
鬱病を形容するのに、特に、漫画などでは、対象者の背後に取り憑いた死神の様に描かれる。言い得て妙で、一瞬ではあったが何かに取り憑かれた感覚があった。
別の言い方をする必要があるのかわからないが、「一瞬『海底に爪先が着いた』感覚があった」とも言える。
諸事情あり、それが叶わなかった方には申し訳ないが、その病を命名された場合、休職、ないし休学しなければ、それを拗らせ、「取り憑かれた状態」がデフォルト化し、年単位、或いは一生涯それと付き合うことになるのだと思う。
もし、今、発症したてホヤホヤであろう方が居れば、何が何でも休んで欲しい。治療には金が掛かるし、休職は、即ち、減給又は無給を意味する。家族に頼るなり、生活保護を申請するなりして欲しい。日本はその点に於いて、間違いなく良い国だと思う。
今、私に、「恐らく」ネガティブな感情は無い。言い換えると、何かに取り憑かれ、広義に於いても希死念慮(自殺願望)はない。
薬を服用し、日々、規則正しく生活する「だけ」に於いては、何ら支障が無い。
只、いつかは「一日八時間労働すること」や、その前段階の「リワークオフィスに月〜金で通うこと」に不安がある。リワークの体験以来、薄っすらした頭痛が戻ってきた。
我々は必要があって「不安」という感情を持っている。日本人の97%はセロトニントランスポーター(安心ホルモン伝達装置とでも言えば良いか)の数が、他の民族の平均より少ないらしい。
昨夜、東日本大震災の「余震」があったらしい。
この災害の多い島国で生き残った者の末裔の一人である私が「不安」になることは当然のこと。我々の祖先が「心配性」であったからこそ、備えをして生き延びたのだから。
いくらアドラーに「嫌われる勇気を持て」と言われようが、村の嫌われ者になれば生きて行けなかった者の末裔なのだから、「不安」なのは仕方がない。
今の「不安」を整理しようとこのエントリーを書き始めたが、
「だってしょうがないじゃないか。人間だもの。」
という、私が毛嫌いしているポジティブ思考が、結論として、大きな口を開けて待っていた。
但し、幾多ものネガティブ思考を経た上で、このあっけらかんとした結論に至ったのであれば、私は相田みつをゝ支持する。
不安思考をある程度堪能したら、少しだけ、「えなりかずき」をイメージして唱えよう。
「だってしょうがないじゃないか」
と。
<了>
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