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  • No regrets no hope but ordinary choices

    Our lives are sculpted by the decisions we’ve made in the past. Our diets, vices, protective measures, marriages, offspring, and occupations all shape who we are. Do I feel content with the person I am today? Are my ambitions too high-reaching? If given the chance to revisit yesteryear, would I make the same choices again?…

    No regrets no hope but ordinary choices
  • 氷点下の凹凸紀行

    新庄とセックスをした。比喩が少し過激だろうか。 アフターコロナ初の当地域のスノーフェスティバルに於ける、弊チームの大雪像は、ファイターズの新球場と新庄剛志監督がモチーフだ。私は新庄像の美術担当として働いている。 昨日までは市内の美術デザインに携わる学生の手を借り、新庄の顔面の彫刻を行なっていたが今日は私ひとりだ。早く像と二人きりになりたかった。 彫り出されたい像を目掛けて鑿(のみ)を入れる。その角度が、その面が正解なのか不正解なのか、像からのフィードバックを貰って作業を進める。 神は細部に宿る。 たとえ観客から決して見えない箇所であっても、そこを彫刻する意味は十分にある。何故ならば、最深部の谷まで彫刻された空間には、不十分なそれとは全く異なる深い影を落とす。 私は独り(或いは新庄像と二人)で新庄の耳の裏を綺麗に彫刻した。像は喜んだ。 パートナーの耳を舌で愛撫する時、あなたはその面を、その谷の深さを感じているか。三木富雄が愛した様に、耳の凹凸は美しい。私はそのひとつひとつを優しく、時に鋭く鑿で出してやる。 像と私との二人っきりのセッション。その時だけは宇宙に我々しか存在しない。これを「セックス」と喩えず何と喩えよう。 おい、明日も俺を愉しませてくれ。

  • 年寄り笑うなゆく道だ

    「子供叱るな 来た道だもの 年寄り笑うな ゆく道だもの」の後半をしばしば思う。同居している親父が同じく同居している祖母をよく疎ましく揶揄しているからだ。 簡単に言うと祖母の一挙手一投足が気に食わないらしい。 やれ電気がつけっぱなしだとか、やれテレビがつけっぱなしだとか、好き嫌いが多いだとか、寒がりだとか、運動しないだとか。文字通り一挙手一投足にケチをつけている。そんなに観察していて、疎ましいどころか一周回って好きじゃないかとさえ思う。 私からすれば「自分もゆく道だろう」と言う感想になる。まあ、父の祖母に関する愚痴を受け、私自身も父に対する愚痴をここに垂れ流しているのだから、全く他人のことは言えないのかも知れない。 親父は、祖父が生きていた頃は祖父の愚痴しか言わなかった。 「そんな詰まらないことに固執しないでもっと有意義なことを行えよ」と否定的にも見れるが、「よくもまあそんなことに怒るエネルギーがあるもんだ、俺にはそんな元気がない」とある種肯定的に見れなくもない。 目の上のたんこぶ的に老害が居るとイライラすることは理解できなくもないが、自分自身、老害の張本人である可能性を考慮しなくてはならない。まだ三十代の自分とて若者の中に入ればそうなり得える。 別に、年配者は若者に引け目を感じて生きろと言っている訳ではない。 一般論的に「老害は早く引退して優秀な若者に席を譲るべき」という意見に賛同はできるが、「さて、あなたはどうやら老害の様です、そろそろ引退しませんか」と言われたとしたら、私は素直に従う自信がない。 私がうつ病になった要因の1%くらいには「どうやって人に迷惑を掛けずに死んでいこうか」と考えたことが挙げられる(言葉にすると微妙に違う気もするんだけど)。コスパや地球のことを考えると今すぐ切腹したほうが良い。醜く歳を取っていくくらいならどこかで美しく死にたい、的な。 他人に迷惑を掛けないことや、美しいことは大事なことかも知れないが、時としてその考えは、ブレーキを握りながら自転車のペダルを漕ぐような、絶望的な苦しさがある。 若者に席を譲った老人はどうやってその自尊心を保つんだろう。若者が活躍する姿を見て微笑みながら、いつか来る死を待てるんだろうか。 先日、田原総一郎のモーニングルーティンを描いた動画を観た。彼の勤勉さや、(あの年齢における)若さには尊敬するが、昨今の討論における老害感を禁じ得ない。 でも、老害とわかっていながらか、そうでないと信じてか、生涯現役を貫く姿は寧ろ格好良かった。 若者からも学びながら、しかし、老害と言われようとも最後まで自分の信念で命を燃やすことはやめない、くらいが凡庸だが格好良い気もする。

    年寄り笑うなゆく道だ
  • もう大好きな彫刻ができないと思って涙が出た

    うつ病の軽い再発に際し、已む無く転職した農作業員は、幸いにも病気の改善に貢献した。 秋も深まり、収穫するものが無くなり、我々作業員は解散した。先輩方は冬場特に労働することなく「冬眠」するらしい。彼らは既に年金を受け取る世代だし、「冬眠」に備え夏に蓄えているのだろう。 さて私はと言えば、冬の仕事も友人が紹介してくれるとのことだったので、何も考えず晩秋を迎えた。しかし、当該の求人は既に定員に達しているらしかった。仕方がないので山にでもリゾートバイト行けば、英語スキルのメンテナンスでもできるだろうと求人を漁っていた。 同時期に、弊地方の国際的スノーフェスティバルの模型制作及び大、中、小雪像の実制作のオファーも頂いていた。模型制作から雪での実制作までひと月程の隙間ができてしまう為断りかけたが、雪像製作以外の春迄の期間にも、病気に配慮した頻度で別の仕事にアサインしてくれると言うので、お世話になることにした。 当雪像制作隊は、地域の美術系の学生の手を借りて模型や実制作を行う。かつては私もその一人だったが、十数年経った今、同じポジションで学生たちと協力しながら模型を作成することとなった。 しかし、どうも体調が悪かった。学生に嫌な思いをして欲しくないので気を遣い過ぎたか、久々の粘土との格闘で脳が疲れたか、吐き気と頭痛的な症状があった。 その夜何故か、YouTubeでロンバケのダイジェスト動画を観た。ピアノを諦めかけたキムタクを山口智子が励ましていた。 大好きだった彫刻ができなくなったらしい自分と重ねて泣いた。 発病以降、復職や転職など環境が変わるたびに体調に支障をきたしたが、時間と慣れが解決してきた。どうやら今回もそれらしく、次第に症状はなくなった。思えば、農作業員に転職した時のみ、一切新しい環境との摩擦が無かったので、本当に精神疾患の治療と相性が良いのだろう。因みに、農業経営者は経営の苦悩からかうつ病患者は少なくない様だ。 やはり粘土弄りは楽しい。納期は嫌いだ。厳密に言うと納期のない労働などこの世には無いだろうが。 作品に完成はない。永遠に弄っていられる。パーフェクトにはならない。粗を探せば簡単に見つかる。トレードオフの関係にある質とスピードのバランスをエナジードリンクで保った 雪像の完成はいつも納期が決めてくれる。私は泣く泣く理想像と掛け離れた現実像を提出するだけだ。その良し悪しはお客様が決める。感じるのは完成の喜びではなく、労働からの開放感と妥協を認めた自責のアンビバレンス。 他の作家も同様な思いが有るのかは知らないが、喜びは完成にはなく、素材との戯れそのものにこそある。 只、まだつくることができる身体であったことは素直に喜ぼう。

    もう大好きな彫刻ができないと思って涙が出た
  • 生老病死の作法を考える

    7月に前職を退職し11月まで農夫をやった。週3、4日働き残りは美術作品の制作(或いはアトリエ整備)に充てる予定であったが、その実、休日はほぼ心身を休めることに使われた。 直近の通院で主治医に休日を活動的に過ごせていない不満を漏らした所、「うつ病はバッテリー総量が著しく減っているので直ぐ燃料切れを起こす、過去の自分と比較し過ぎず、今の自分をベースに考えた方が良い」旨の助言を貰った。少し前に5、6年振りの東京旅行に出かけた。観光の時間より休息の時間が多く自らに失望したが、発病以前の自分と比較することがナンセンスなのかも知れない。 今季の農作業を終え実質ニート状態(ニートの上限は34歳と定義されているのでコドオジとでも言い換えた方が正確か)を数日経験し、やっと何かする気力、体力が湧いてきた。睡眠負債は返済に4日要すると聞いたが、疲労負債もきちんと返済しなければ活動できないのかも知れない。 うつ病のきっかけは単なる働き過ぎだったと思うが、そこから湧き出てきた負の感情は基本的に「老」の苦しみだ。勃起しない。疲れやすい。モテない。金無い。チンコも体も心も家計も元気になるには、筋トレ、趣味、労働などができる最低限の元気が必要になる。言い換えると、より元気になるにはエッセンシャルな元気が必要なのだ。 日に日に老いるし、このままセックスできず死んでいくんだろうし、「特にもがいたりせず死んだ方がSDGsだな」という身も蓋もない思いに至るので、煙に酔って寝る夜もある。 基礎的な元気を得る為にはひたすら休むしかない。他人との比較も無用だが、若き日の自分と比較することも精神衛生上よろしくない(「若さは素晴らしく老いは醜い」という考え自体は拭えないんだけど)。 若さや元気を諦めるべきか悩む。休んでは歩き、休んでは歩くしかないか。基礎体力がついたら老いに抗いたい気持ちもある。武田真治がうつ病発症後に、サックスを吹くために筋トレを始め、結果有言実行している姿は誠に見習いたい。 自分の体を乗りこなすにはまだ時間が掛かりそうだ。

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  • 半隠遁と表現者のジレンマに対する一つの解

    SNSを半分辞めてみた(「半分」としたのは、このブログの投稿は制限から除外したからだ)。 孤独を埋める為にソーシャルメディアに依存していたが、結局そこでも孤独を感じたからだと思う。子供時代は母に、以降は歳上の恋人達にそれを補完してもらっていたのかも知れない。 社会を形成している人間は所謂、群れで生きている種で、大袈裟かも知れないが孤独は死を意味する。働いてお金をもらって、食品を買えるのであれば十分であるかも知れないが、孤独に危機感を覚える様に設定された者が生き延びた結果、子孫である我々、特に日本人は孤独に敏感だと思う。だから、同調圧力に屈して苦しい思いをする反面、災害などの有事には不文律が守られるのだろう。 転職を繰り返し社会不適合で、一定年齢以降パートナーを作る能力や魅力も失い、病気で思うように自分自身もコントロールできない。 隣の芝生が青く見えるだけかも知れないが、みんなは、社会人としてもそこそこ活躍し、パートナーや子供を儲け、人生が充実している様に見える。運用を間違えるとソーシャルメディアは、自分を相対的に不幸にすることがわかってSNSを半分辞めてみたのだと思う。 自分一人で幸せでなければ、これまでの様に他者に依存して幸せなフリをしないといけない。私は経済的自立、精神的自立という当たり前のことができていないのだ。 SNSを離れてほんの数日だが心は落ち着いている。SNSの恐さはいくつかあり、先述したような「隣の芝生の羨望」、「自分の発信への批判」、「時間の浪費」などが思い当たる。 うつ病を発症してから体力も所謂メンタルも弱体化した。以前は他人からの批判をなんとか受け止めていたが、今は苦しい。老いるほど自分の考えに固執することは、理論からも実体験からも理解しているので、自分が年齢を重ねただけかも知れない。 正直自分がこれ以上成長や向上できると思わない。年齢的、あるいは病気から起因するものによりそんなエネルギーが無い。 変化、改善、成長、向上、進化は、過去或いは現在の自分を否定しないと為し得ない。大人になると本質的に、他者は自分を肯定してくれない。言い換えると、自分が自分自身を肯定しないと誰も肯定してくれない。異論は認める。 それなのに自分を否定して自分を変えることなど苦しくてできない。臆病とか子供とか言われても構わない。少なくとも私は、そうしないと自分を保てないと思っている。 これは、表現者が昔から葛藤してきた命題と似ている。 「表現者は何処まで鑑賞者の目を意識すべきか」「自分の表現を貫くべきか、ある程度売れるものを作るべきか」 これらの問いに対する私の答えは「どちらでもない」だ(しかし後で覆す)。真実はいつも凡庸だ。中庸と言い換えても良い。 自分を殺して表現することに何の意味もない。反面、その表現が全く伝わらなければそれはそれで無用だ。 理想的には、自分の表現を他人に伝わるように料理する。誠に凡庸な答えだ。 他人がに伝わるように、自身の表現にある種の客観性や批評性を持たせる訳だが、厳密に言うと、「自分が思う」客観性や批評性な訳で、本質的には誠に主観的なものである。 その意味に於いて、私は「表現者は鑑賞者の目を全く気にしなくて良い」し、「経済的リターンを全く無視して表現するべき」だと思う。 私は自分が自分である為に、他人に左右されない為に、ソーシャルメディアを半分降りてみたのだと思う。 繰り返すが、異論は認めるのである。

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  • スーツを脱いで農夫に

    今年の2022年の6月以降、仕事に行き詰まり苦しんでいた。長年いた業界だったがスキルの求められるポジションに対し、少し経歴を偽って入社したツケかも知れない。割り振られた仕事をクローズできず、手持ちの案件は雪だるま式に増え、兎に角止まって倒れないように自転車操業を続けた。 仕事が終わらず、連日の残業。うつ病から回復した私は、フルタイム丁度の8時間であればなんとかこなせること知っていたが、残業続きは負荷が掛かった。 焦りと上司からのプレッシャーで、うつの症状が再発した。割と直ぐ、退職希望の報告をマネージャーに、転職先斡旋の依頼を友人に行った。直ぐにでも退職しなければ体調は悪化することはわかっていたが、有休消化期間を入れて7月半ばの最終出社を上司から提案されたのでそれを飲んだ。残り2週間、精神と身体のバランスを取りながらの案件消化に努めた。 ある日、リーダーは私の案件消化の雲行きが怪しいことを察し、チームのオンライン会議にてメンバー達に私の案件を分配することを提案した。 ここは誠実にお願いしなくてはと、「お世話になります!」と向こうに見合えない頭を下げた。 その声が快活過ぎたか、もう少し申し訳なさそうに言えば良かったのか、先輩方の中でもリーダー格のメンバーに「『お世話になります』じゃねえよ、全部クローズしてから辞めろよ」と罵声が飛び、一同静まり返った。 一気に症状が発生し、頭痛のようなものに襲われ、まるで頭をぶん殴られたようにぼーっとして思考ができなくなった。 少し気を取り戻し、必ずしも7月半ばの最終出社でなくとも良いため、それまでに案件が終わらなければ退職日を延期することも辞さない旨提案したが、直近で発生していた私の誤った調査内容を引き合いに出され、それも否定された。 誠に無責任ではあるものの、私の仕事を信頼できないのであれば尚更案件を巻き取ってほしいと思った。私自身、自分への信頼を失っていた。埒が明かない為、会議は解散となった。 2週間最善は尽くしたが案件全ては終わらず、それをチームリーダーに引き継いだ。ボロボロになりながら手を尽くしたが、リーダーにはその誠意が伝わらない結果となった。ビジネスは結果が全てだ。ほとほと呆れられた。いくら全力を出したとはいえ、引き継ぎとしては大変お粗末なものだっただろう。 「上司には私の尻拭いをさせてしまったが、私も2週間症状を抱えたまま命を削った」と、飽くまでギブアンドテイクは果たした旨自分に言い聞かせた。 一時友人にさえなったリーダーのラインをそっとブロックして会社を辞めた。 8月以降、友人が紹介してくれた農園にて農夫として働いている。 自然の中で太陽を浴び、収穫という有酸素運動を行い、新鮮な野菜を食し私の体調は回復した。2020年12月から服用している薬を一つ減らすこととなった。

    スーツを脱いで農夫に
  • 6月26日日曜日

    久々に夢を見た。でも、内容は憶えていない。懐かしい何かを見た記憶だけがある。 目覚めるとバンガローの屋根裏部屋だった。昨日から両親、妹そして甥とキャンプに来ていた。 母親が用意したサンドイッチとコーヒーで目を覚ました。 虫取り網と水鉄砲で遊んでいると、隣のテントの兄弟も水鉄砲と虫取り網を持ってやって来た。お互い水に濡れながらきゃっきゃと走り回った。 蝶々も3匹捕まえた。 最後兄弟には「ありがとう、またね」と言ってお別れした。 お昼は海老で出汁を取った塩ラーメンを食した。甥がどの味を食べたいかわからないので、大人は全員大盛りを頼んで甥が欲しがる味を小丼に分けた。「幻」を冠したラーメン屋の海老の出汁の比ではない。私は一滴残らず食べ干した。 帰路の後半は母親に変わって運転をした。暫く運転から離れていたが、大分慣れてきて直線とカーブの違いを楽しんだ。かつて教員時代2回免停になったとは思えまい。自分の運転技術を心の中で自画自賛した。 帰宅してからは甥とビニールプールで遊んだ。悪戯っ子は度々伯父に水をかけた。 疲れた頃に夕飯の準備ができて、我々はその日買った海鮮とさくらんぼを頬張った。 風呂が入るまで、和室で甥と2人でフルチンで遊んだ。みんなには内緒だ。教育には良くなかろうが、我らはゲラゲラ笑いながら遊んだ。 結局ママとはお風呂に入らず、甥は私と入った。甥の頭から足の指の間まで綺麗に洗った。 風呂から出たら一緒に歯を磨き、一緒に髪を乾かした。 甥は今日は伯父と寝ると言うが、私には楽し過ぎてもうお腹いっぱいだ。 縁起でもないが、こういう幸せな日に眠りながら死ぬのはきっと幸せに違いない。

  • 言ってはいけない

    皆、持って生まれたものは変えられない。顔。体。脳。両親。 それでももがきながら、苦しみながら生きてゆかなくてはならない。何故こんなに苦しむ必要があるのか。 自分が無能だからか。努力が足りないからか。自分の根性が腐っているからか。 人は「他人と比べるな」と偽善の言葉を吐きながら、何処かでやはり「他人と比べている」。 私は無能にも寛大だ。何故なら自分も無能だからだ。 これは自分の無能さを受け入れるための詩(うた)だ。 どこまで努力すべきかわからない。人間は常に上を、常に改善を、always trying to be better しなくてはならないのか。 どこまでは自分の能力の限界と諦めて良いのか、何処までは努力しなくてはならないのかわからない。そもそも他人に押し付けられるものでもない。 私は私のまま認めたい。受け容れたい。それの何がいけないのか。 解脱したい。 私は真実へと歩いているのだろうか。 とりあえず今宵も、酒と煙に酔い、嫌なことを麻痺させてゆく。「逃げ」と言われても構わない。 これが私の生きる術なのだ。

    言ってはいけない