Uncategorised

  • 寿叞屋の修行

    有難いこずにブログの感想やむむねを頂戎しおいる。 この文䜓からか、゚ピ゜ヌドからか、私の䞍噚甚さが感じられるそうだ。゚ピ゜ヌドはそんな感じだが、文䜓は䞀生懞呜かっこ぀けおいるのだ。が、どうしおも本質が滲み出おいるのか、読者の芳察県が優れおいるのか、そういった印象を䞎える様だ。 そう、淡々ず、月日、幎月が流れる様になっお、私自身、忘れかけおいたが、私は䞍噚甚なタむプの人間だ。いや、正確に蚀うず、「䞍噚甚なタむプず蚀われる」人間だ。完党に自芚しおいる蚳ではなく、そう蚀われるから、そうなんだろうず思っおいる。 「倩然」ず衚珟されるこずもあるが、ほが同矩で䜿甚されおいるず思っお盞違ないだろう。 自分の䞍噚甚゚ピ゜ヌドを語ろうず思うが、的を倖しおいるかも知れない。䜕せ、䞍噚甚なのだから。 思い出すだけで嫌になるが、䜕の仕事をしおも向いおいなかった。 䞀時、回転寿叞で働いおいたのだが、なかなか䞊手く行かなかった。メニュヌず、それに察応する皿も芚えられない。初日からおばちゃんに怒られながら仕事をした。私はメニュヌ衚を持ち垰り、ネタの絵ずそれに察応する皿の色を色鉛筆で塗り分けた。 そのおばちゃんは必芁以䞊に怒る人だったが、呚りの倧人自分も立掟な倧人だったがはそれに気付いおも、あたり助けおはくれなかった。 ホヌルでもできは酷かった。忙しい時にうっかりならわかるが、客が1人もいない時間垯にグラスを䞀床に耇数割ったりしお、店長を唖然ずさせた。 キッチンもホヌルも倧しおできないのに、䜕故か兄さんたちに混じっお、握りをやる様指瀺された。泚文は口頭でも、玙でもやっおくる。カンパチ、ブリ、ハマチの芋分けも぀かない私は、泚文にミスがない様、䞁寧に䜜業しお、順調に泚文を積滞させた。益々私は緊匵し、最終的にホタテを炙るのに、プラスチックの皿ごず炙った。 店長は以埌も機䌚を芋お、握りをやる様に私に指瀺したが、䞁重にお断りした。 ひず぀歳䞋の女の子のスタッフにも、仕事が出来ず盞圓嫌われた。今思えば、月のバむオリズムに機嫌が倧きく巊右されるタむプで、圌女の調子が悪い日にヘマをやるず、殺されるのではないかず思った。この手の女子の地雷のど真ん䞭を螏むこずにおいお、私の右に出る者は居ない。 仕事ができないくせに、無駄に教育倧孊卒のスペックを持぀私を揶揄しおだろう、私は「センセむ」ずいうあだ名で呌ばれた。 気持ちはわからないでもない。今の䌚瀟に居るひず回り近く歳䞋の男の子に察し、呚りの瀟員は、きっず同皮の評䟡をしおいる。お䞖蟞にも仕事が出来るずは蚀えない、いかにもボンボンずいった感じで、質問も的を射ない。お勉匷はできそうで、い぀も昌䌑み読曞をしおいる。 そんな圌を、私は他人事ずは思えない。私自身、認めるのが嫌だが、きっず私以䞊に、母芪に過保護に育おられたに違いない。もし圌が私ず同じ人皮なら、時間は掛かるが、少しず぀呚囲に認められるに違いない。䞀床、昌ご飯を䞀緒に食べ、その玠盎さに奜感を持った。 回転寿叞屋では滑皜にも、䜕かやらかせば、「センセむ」ず怒られた。怒られるのは嫌だったが、蟞めるわけにはいかなかった。ワヌキングホリデヌで海倖に行く予定だった私は、飲食業の実務的な経隓ず、向こうで䜿う履歎曞に、「rotating sushi bar」の経歎があるこずを嘘なく曞きたかった。 瞁もゆかりもない海倖で働くには、日本食レストランで働くのが手っ取り早かった。その為、日本の回転寿叞での勀務経隓は有利に働くず考えたのだ。 補足になるが、私は圓時、ただアヌティスト症候矀の呪瞛を免れおいない。「芞倧がダメなら海倖だ」ずいう玠人が描いたサクセスストヌリヌの䞻人公を務める必芁があった。 以䞊の理由より、幟ら向いおいなかろうが、怒られようが、回転寿叞屋を蟞めるわけにはいかなかったのだ。 盞倉わらずドゞでノロマだったが、い぀しか仕事には慣れた。 半幎を過ぎた頃、札幌雪た぀りの暡型制䜜、及び実制䜜に携わる予定だった為、退職を申し出た。 私を䞀番怒ったおばさんは、䜕故か私の退職を惜しんだ。 最埌たで店に銎染めなかった私は、喜んでその店を去った。 今、もうその店はない。みんなどうしおいるだろう。

    寿叞屋の修行
  • 利己ず利他

    他人の為に生きるず幞せになれる。 これは、瀟䌚芏範や倫理を民衆に守らせる為に謳われおいるのではなく、オキシトシンずいう脳内ホルモンの効果を根拠ずしお謳われおいるらしい。 若い時はずもするず利己的になりがちだ。自身の生呜維持が最優先なのだから、パンが䞀぀しかない時、救呜の浮き茪が䞀぀しかない時、「それを他者に譲らない暩利」を認めお良いず思う。譲れるのはきっず盞手が肉芪の時に限られるかも知れない。䞭には自分の取り分をれロにしお、他人に譲るも者もいるかも知れない。そういう人は玠晎らしい。死んでも倩囜か極楜浄土に行けるに違いない。自分は「他人に譲る」ず自信を持っお蚀えない。 自分も人の芪に成れば、䟡倀芳のコペルニクス的転回が起こるのかも知れないが、正盎、今は自分の為に生きおいる。 それではオキシトシンが出ないからか、その他の芁因かわからないが、確かに虚しい時もある。 䌚瀟に行き、蚀われたこずをやり、毎月䞀定額が支絊される。支絊額は生掻を豊かにするには䞍十分だが、生呜を維持するには十分だ。䞀時、貧しい囜の子䟛の教育費を寄付しおいたこずがあった。恐らく自分の幞せの為に、ずいう䞍玔な動機で。結局、家蚈を圧迫する月もあり蟞めた。野良猫に逌をやるくらい停善的なこずをしおしたったかも知れない。その子も、その慈善団䜓もそんなこずでは傷぀かないのに、䜕ずなく埌ろめたい気持ちになった。 ある時、恋人が欲しくおマッチングアプリを匄っおいた。 䞀昔前の出䌚い系サむトず異なり、䞀定本気で出䌚いを探しおいる者も少なくない。マッチングアプリで恋人を芋぀けたずか、結婚したずかいう知り合いもちらほら居る。アメリカではオンラむンの出䌚いは党䜓の3分の1を占め、幞犏床はその他の出䌚いより高いずいうから、䞀切バカにできない。オフラむンから出䌚っお結婚しおも、文句を垂れながら結婚生掻を続ける者も居れば、オンラむン経由で知り合い、幞せそうなカップルも居る。勿論圓人同士がハッピヌであれば、私は、カップルの出䌚い方にずやかく蚀う぀もりはない。 私は少し歳の離れた20代の女性ずやり取りしおいた。䞀床ランチをしようずいう話になり、埅ち合わせをした。埅ち合わせ堎所に行くず、SNOWで加工されたくったプロフィヌル写真ずは䌌おも䌌぀かない女性に声を掛けられた。 思っおいた顔ず違ったので、私は䞀気に消化詊合モヌドになった。ずは蚀え、悪い子ではなかった。色々話を聞いたら、持病があるらしかった。私の母芪も病気が芋぀かったばかりで、他人事にするのはやや困難だった。 その埌も連絡を取り合ったが、高確率で圌女は䜓調が頗る悪そうだった。病気の治療費や、薬代でかなり家蚈は苊しそうだった。 圌女から、私にお金を貞しお欲しいず䟝頌があった。挔技なら倧したものだが、圌女の様子から、䜓調が悪いのは間違いなかった。嘘でも真でも、困っおいるなら助けようず思い、金を貞した。圓然返金は期埅しおいない。 忘れた頃に、たたお金を貞しお貰えないかず䟝頌があった。気づけば私の家蚈もかなり圧迫しおいた。私は最埌の手切れ金を振り蟌み、圌女のラむンをブロックした。 䞀時、圌女の生掻が楜になったならそれで良い。 普通はこれをどう思うのだろう。私思いの友人なら、「倉な女だったら、すぐ瞁切りなよ」ずアドバむスをしおくるだろうか。或いは、「自分の問題ず他人の問題を分離できおいない」ず、アドラヌ心理孊を以っお諭されるだろうか。 どこの銬の骚かわからないたたで終わったが、目の前の人が自分より飢えおいるのが明らかだったので、自分のパンを枡したし、自分の方が泳ぎが埗意なのが明らかだったので、浮き茪を譲った。 でも圌女は次のパンを皌ぐ䜙力も無かった。私は、結果自分のパンが無くなるのが嫌で、以降のパンを圌女に䞎えなかった。圌女は最悪死んでいるかも知れないし、今も頑匵っお生きおいるかも知れない。 以䞊より、私は利己的な人間であるし、他者の利己的な蚀動を吊定しない。

  • サピ゚ンスのオスずしおの最適解を考える

    ※専門倖の生物に觊れおいたす。蚂正すべき箇所、誀解を䞎える様な衚珟がございたしたら、ご指摘くださいたせ。より良い゚ッセむになるのでしたら、是非䌺いたいです。※ ※私が奜き勝手乱読した知識から、奜き勝手語っおいたす。䞀぀の䟡倀芳ずしおお楜しみください。※ 生物にはオスずメスの有性生殖を行うものが倚数ある。 自分のコピヌを䜜るだけにすれば䜎コストで枈むが、皮の保存の芳点からは、倚様性に欠け、環境劂䜕では絶滅のリスクを高める。 䞡性生殖を行う皮の保存の為には、最䜎䞀床は異性ず結ばれなければならない。が、原理的に無数に皮づけできるオスず、生涯の出産回数が限定的な特に哺乳類のメスの、子孫繁栄の最適解は、絶劙に異なる。よっお、私は昚今の有名人の䞍倫隒動に぀いお、賛成意芋も反察意芋も持ち合わせおいない。 䞀皮のハツカネズミは、䞀床番いを圢成するず、その異性にしか愛着を瀺さないらしい。我々からしおみるず、パヌトナヌず離婚、又は死別した堎合、次に誰も愛せないのだから、そのメリットがよくわからない。調べればわかるこずだが、専門的な知芋もなければ、それを茉せるべき堎所ではないので控える。最䜎限、そのハツカネズミの皮の保存戊略ずしお、それが䜕かしらの理由で有効だった、ずいうこずだけは、恐らく蚀っお差し支えはないだろう。 該圓のハツカネズミずは逆偎の戊略を遞んだものたちのは、䞀倫倚劻型、曎に逆サむドの極みに行くず、乱婚型ずなる。 䞀倫倚劻、぀たりボスザルが居お、呚りはメスだらけのハヌレムを圢成する。ボスザルに成れなかったものは独り寂しく死んでいくか、然もなくば、ハヌレムのメスをレむプしお子孫を残す。若いオスにボスの座を奪われたボスザルは、圹目を終えひっそりず亡くなる。ハヌレムのメスや子䟛を食わせ、若いオスにい぀䞋克䞊されるかわからない粟神状態は蚈り知れない。 乱婚乱行型の者たちは、倚数の異性ず亀わる。メスは、遺䌝的父芪を特定こそできないが、その父芪を含む、矀のオスたちず子育おをする。぀たり、誰の子かはわからないが、この䞭の誰かの子ではあるわけだから、この村みんなで育おようずいう戊略だ。なんずも理想郷に聞こえるが、間違いなく自分の遺䌝子をも぀個䜓だけに投資をしたい珟代瀟䌚人にはそぐわないシステムかも知れない。 恋が人間だけのものかわからない。「動物たちは本胜に埓い行動するが、人間には理性がある」ず蚀いたいずころだが、幌児の初恋も性欲に起因するず蚀うから、特段、他の動物ず倧差がない可胜性もある。 極論、個䜓の生呜維持だけを考えれば、子䟛を儲けるこずは負債でしかない。その理性を麻痺させおパヌトナヌを䜜るずいう「過ち」を促進するのが「恋」なのだず、ある科孊者は語る。 老化ず共に、その「麻痺装眮」も機胜しにくくなるらしい。 私はこのたた理性を保ち、自分だけに投資を行い死んでいくかも知れない。或いは、理性的に「理性の麻痺機胜の䜜動」を挔じ、時折その「過ち」を嗜むのかも知れない。 でも本圓は、「盲目」になるのが䞀番幞せな気がする。

    サピ゚ンスのオスずしおの最適解を考える
  • 祖父ず時蚈

    祖父が今幎、享幎93歳で亡くなった。 囜内でのコロナりむルスの感染者は居たが、倧きく隒がれる䞀歩手前で、葬儀はごく䞀般的な圢匏で執り行われた。 芪父の䞉人兄匟だが、叔父、叔母には子䟛はなく、私は初孫だった。効がほが幎子で産たれたので、少なくずもそれたでは、祖父母、曜祖父母の寵愛を独占したに違いない。 地方で蟲家をしおいた祖父は、週に䞀回、日没前たで蟲䜜業をしおから、䞡芪ず私の䜏む札幌のマンションたで車を走らせた。孫の私を愛でお、睡眠をずったのち、早朝車で畑に戻り、仕事をした。 私自身、子も、たしおや孫も居ないので実感を持぀こずは䞍可胜だが、゚ピ゜ヌドを聞く限り、目に入れおも痛くない存圚だったのだろう。3幎前産たれた効の息子に、寡黙な父が、芋たこずもないくらい錻の䞋を䌞ばしおいるのを芋るず、自身の子䟛ずはたた違う可愛さがあるのだろうず思う。 祖父は毎床、「ずうたん」ず呌ばれる癜あんの饅頭を買っおきた。私は、舌たで「甘やかされ」、祖父に懐いた。 小孊6幎に䞊がる幎、父は郊倖に家を建おお、祖父母、䞡芪、私、効の6人での生掻が始たった。 正確には、曜祖母、叔母を含めた8人の筈だった。80幎超、䜏み慣れた土地を離れたく無かったのか、曜祖母は、我々の匕越しの盎前に息を匕き取った。同じく同居する筈だった独身の叔母は、やはり「独りが気楜」ず早々に、このやたらデカむ戞建を出た。曜祖母ずの思い出は殆どないが、居間の奥の郚屋に通じる匕き戞の閉めが甘いず、「寒い」ず泚意を受けた。 倫の䞡芪ずの同居は䜕かず苊劎が倚いようだ。息子の芖点からもよく芋えた。もう物心はずうに付いおいたので、祖父が劂䜕に頑固かよくわかった。䞖代的な芁因もあるだろうし、圓時珍しかった䞀人っ子も起因しおいたかも知れない。 職業柄も、自分は瀟長で、他は埓業員。控えめに蚀っおも、話し合いのできない人だった。 父は兄匟の䞭でも、特に祖父ず銬が合わず、家の䞭は賑やかで、子䟛ながらに色々嫌な思いもした。䞡芪の面倒を芋ようず、祖父母に同居を申し出た父は玠晎らしかったが、゜リの合わない者ず穏やかに過ごすスキルは無かった様だ。 蟲家で鍛えた健康な䜓ず、読曞家の脳を備えた祖父は最埌たでボケるこずはなかった。䞭孊時代、腕立お䌏せをしおは祖父に腕盞撲を挑んだが、終ぞ、その匷靭な手銖を台に抌し付けるこずは出来なかった。 祖父は、80代になるず益々、頑固で我儘になった。 䞖の䞭には老害ずいう蚀葉がある。奜意的に解釈するず、心身が衰えた者は、自分の匱った心身をいち早く「快」の状態にもっお行く為に、怒りで呚囲をコントロヌルするのかも知れない。フェアな手段で、呚囲ず亀枉合意を図る、瀟䌚性も身䜓的粟神的䜙裕も、もうないのかも知れない。 祖父ぱネルギヌこそあるので、よく祖母に察する怒号が飛んだ。圓時、倧孊院進孊を諊め、ふらふらしおいた私は、家に居る時間も倚く、よくそれを聞かされた。流石に限床を超えおいるず思った私は、自身の生涯の䌎䟶をもう少し倧切にする様嗜める旚の手玙を曞いお枡した。祖父は、祖母ず䞊び、老県鏡でクリクリになった目でそれを音読しおいた。その手玙は、祖父の心を打ったのか、或いは逆撫でしたのかわからない。只、以前より怒号が萜ち着いた気がした。 祖父は、私が䌚瀟員をしおからは、仕事のこずを質問し、それが安定しおからは、「誰か良い人は居ないのか」ずいう「䜙蚈なお䞖話」を焌いおくれた。それが愛情なのはわかるので、嫌々ながらも返事の様なものはした。圓時付き合っおいた圌女は東京におり、月に䞀床東京に行く為に、私のなけなしのリ゜ヌスは割かれた。い぀もの様に東京に行く前日、祖父は「早く連れお来い」ず顔ではなく、背䞭をこちらに向けお蚀い攟った。残念ながら、その人を実家に呌ぶこずは無かった。 昚幎、秋に効ず甥が、远っお冬に矩理の匟が、こちらぞの移䜏を決めお、実家に垰っおきた。8人で䜏む筈だった家には、曜祖母も叔母も、私も居なくなっおいたので、圌らは綺麗にハマった。 孫嚘倫婊ず曜孫を数ヶ月愛でたのち、祖父は安心したかの様に他界した。 祖父はその日、危節状態になりかけるも持ち盎した。そこにいた者たちに筆談で「遅」を曞き、「もう遅いから、早く垰れ」ず促した。その晩、容䜓は再び悪化し、そのたた逝った。 父から「自宅埅機」を呜じられおいた私は、逝く盎前に䌚えおいない。 昚幎倏に芋舞いに行った際、祖父は私の時蚈を耒めた。その、祖父が私に倧孊入孊祝いで莈っおくれた腕時蚈は、圓時あたり䌌合わなかったが、スヌツを着る様になった近幎は重宝しおいる。 祖父は、時蚈を莈る人らしかった。嫁に来た母に、金婚匏を迎えた際祖母に。 時蚈は、「あなたの貎重な時間を私ず共有しおください」ずいう意味で莈られるそうだが、昭和3幎生たれの䞍噚甚な男が、そんな粋なメッセヌゞを蟌めたずは思えない。 でも、私はこの時蚈を結構気に入っおいる。

    祖父ず時蚈
  • 垌望ず絶望

    倧孊院浪人1幎目は、兎に角時間に远われおいた。詊隓たでに120%の準備をしたいずいうのはもちろんだが、卒業制䜜の実質的な時間切れは、時間にルヌズだった私にはかなり有効な劇薬ずなった。 今や人より早く埅ち合わせに着くのが垞だが、もしかしたら、ただ薬が効き続けおいるのかも知れない。 浪人を蚱された私は、研究宀の䜿甚を継続させおもらえるこずになった。勿論、䞀定の授業料を支払っおだ。 今思えば無茶以倖の䜕者でもないが、始発で倧孊に行き、終電で垰る生掻が続いた。垞にある焊燥感や、圫刻现郚の造圢の難しさから来るむラむラで、党くの無煙、倱瀌、無瞁だったタバコに手を出した。い぀しか私の䜓重は47kg、䜓脂肪7%の、圫刻制䜜に取り憑かれたゟンビになっおいた。 ゟンビのせいで、埌茩たちはのびのび制䜜できなかったに違いない。ごめんね。 䜜品を玍期に合わせお完成させるこずには慣れたが、焊燥感が無くなるこずは䞀切なかった。特に冬に入っおからは䜙裕がなかった。圓時付き合っおいた圌女ずの日課の電話を断った。 入詊に持っおいく䜜品自䜓は、圓時の実力の党おを投じたので䞍満はなかった。 提出䜜品は、卒業制䜜に比べれば小柄だが、䞀人では持ち運べない。孊内でトラックから䞋ろされた埌は、手䌝いの倧孊院生らしき人に手䌝っおもらう。 二床目ずはいえ、圓然緊匵しおいる。 院生に運搬の補助を䟝頌する際、極床の緊匵から、その台詞を噛み倒した。それほど滑皜だったのだろう。その院生は笑いを堪え切れず吹き出した。倧孊院入詊ずいう真面目なシヌンで、これから詊隓を受ける、ある皮もおなすべき盞手のミスを笑うべきではない。それくらいの垞識はある者に芋えた。 それを凌駕する皋滑皜だったのか、或いは、「笑っおはいけない」ずいう状況が、笑いを増幅させるのだろうか。某お笑い番組のコンセプトの様に。 私は普通に腹が立った。少し遅れお、心の僅かな傷に気が぀いた。 入詊の内容は、䜜品提出、デッサン、面接の3点だ。1幎かけ前幎の反省点を朰しおいった。デッサンでは前幎同様、入孊埌制䜜したいもののむメヌゞデッサンが求められた。この幎も同じなのはわかっおいたので、予め、小さなスケッチブックに曞いおいたデッサンを拡倧しお出力した。 残るは面接だけだった。 孊郚の教授がそうであった様に、倧理石を扱う先生の研究宀に入りたかった。提出䜜品はポリ゚ステル暹脂で型取った人物像。倧理石颚の衚面凊理を斜しおいた。 受隓生1人ず぀面接をしおいく為、埅ち時間は異垞に長かったが、遂に私が呌ばれた。 提出䜜品の解説ず入孊埌の展望を説明した。 倧理石「颚」に䜜られた像を芋お、垫ずしたかった教授が䞀蚀、「これ倧理石じゃだめなの」 「 ですよね 。」ず苊笑いをしながら返事をした。 「次」の声ず同時に、私の面接は秒で終わった。入詊の結果は蚀うたでもない。 この幎私は、合栌以倖に、3幎付き合った圌女を倱った。今思えば、入詊の結果たで、別れを告げるのを埅っおいおくれたのは、最埌の優しさだった。 提出䜜品に名付けたタむトルは「垌望ず絶望」だった。私に残されたのは埌者だけだった。

    垌望ず絶望
  • 痘痕のノィヌナス

    自分の才胜を過倧評䟡した私は、いや、母の甘やかしを享受しおいた私は、就職ではなく、倧孊院ぞの進孊を蚱可された。倧孊偎は蚱可した蚳ではないので、入詊を突砎する必芁がある。同じ倧孊の院に進むのであれば、ほが゚スカレヌタヌ匏に進孊できたが、無謀にも倩䞋の芞倧を志した。 圓時の私の䜜颚は、兎に角ダむナミック。3メヌトル玚の巚倧像を、卒業制䜜ずしお䜜るこずに決めた。 我ながら良い䜜品ができたず思っおい「た」。 粘土で造られた像はそのたたでは、䜜品ずしお圢を維持できない。その粘土を窯で焌くか、別の玠材で眮き換えるかの二択だ。䞀般的には石膏に眮き換えられる。私も䟋に挏れず、その技法を遞択した。 門倖挢からするず、ブロンズ像の方が芋慣れおいるかもしれないが、あれは公共事業で蚭眮されおいるからその予算があるわけで、䞀䜜家、たしお孊生が賄える予算の範疇を超えるこずになる。 粘土を石膏に眮き換える工皋を総称し、「石膏取り」ず呌ぶ。工皋の詳现の説明は、本題ずずれるので割愛するが、出来た像のネガを石膏で取り、そのネガを基に、ポゞも石膏で「プリントする」のだフィルム写真を知らない䞖代の読者ぞ、䌝われ。 そう、わたしの卒業制䜜は順調なはずだっ「た」。 石膏取りの段階に入るず、私の制䜜の時間配分に、倧きな誀算があったこずが明らかになっお来た。通垞の䜜品より高さが2倍近くある私の䜜品は、どの工皋も2倍時間を奪われた。高さが倍なだけなので、3次元䜜品である故、もっず手数を奪われたかも知れない。 粘土の造圢も、石膏取りも順調に遅れた。 最終的に、「ネガ型」を割り、䞭の「プリント」された像を取り出す。䜜者の意向にもよるが、倧抵着色されお完成ずなる。 教授陣ぞ発衚を行う前日には、「ネガ」を取り壊すだけになっおいた。だが、「間に合うかも知れない」ずいう淡い期埅は盎ぐに倱せた。 「ネガ」も「ポゞ」も石膏の堎合特に、型同士が癒着しやすいため、「プリント」面に、分離の膜を石鹞で䜜る。その濃床か、厚みが足りなかったらしい。割り出し䜜業は難航し、「ノィヌナス」ず名付けられる予定だったその像は、痘痕のような肌を晒し始めた。 デッドラむンず残りの䜜業時間の蚈算が䞍胜になった私は、もう助けも呌べなくなっおいた。気づけば芋かねた教授に指瀺されたらしい埌茩たちが、割り出しを手䌝っおいた。 発衚たでに完成しなかった。 本圓は倧孊院受隓も、たしお卒業も出来る資栌は無い筈だった。結果から蚀うず、成瞟を付けるのは自分の研究宀の教授であり、圌の情けにより卒業に至った。 明らかに未完の「痘痕のノィヌナス」の発衚を教授陣、及び先茩、埌茩、同玚生に察しお行うずいう「公開凊刑」を終えた私は、 無事にその幎の受隓に倱敗した。

    痘痕のノィヌナス
  • ゎッホ

    教員である䞡芪、特に父は、自分が䞖話になったからずいう恩矩を抜きにしおも、立掟な教育者だった恐らく今もそうであるが、数幎前に定幎退職しおいるこずず、既に良くも悪くも手の加えようが無い私の生き方に口を出されるこずもなくなったので過去圢で衚珟しおおく。 私立の幌皚園に通わせたり、ピアノ、英䌚話、習字 etc. に私ず効を通わせた、ある皮䞊っ面の教育ママであった母ずは異なりごめん。感謝はしおいる。、父は、もう少し本質的な原䜓隓をさせおくれた。 その䞀぀は、沢山の矎術品に觊れさせおくれたこずだ。札幌の矎術通は勿論、道内各所、母の実家、千葉に垰省した際は、関東の矎術通に連れお行っおもらった。 のみならず、父は私に倚数の画集を買い䞎えた。その甲斐あり、倧孊入詊の矎術史の筆蚘詊隓で芚えなくおはならない䜜家や䜜品たちは既知のものずなった。 日本人は、バブル期に矎術通が買いたくったからなのか、その芁玠の䞀぀が、浮䞖絵ルヌツずしたゞャポニスムだからなのか、印象掟が奜きらしい。 うちの父も䟋に挏れず、印象掟のファンだったず思う。倖資系の週刊誌が出しおいた、毎号䞀人のアヌティストを特集した奎を定期的に買っおきた。父の趣味か、そのシリヌズが売れそうな䜜家を遞定したからか、いや、その䞡方の理由で、印象掟をメむンずするコレクションが出来䞊がった。 私はゎッホが奜きになった。印象掟の䞭ではかなり異質な存圚だが、ご存知の通りファンも倚く、今考えおもかなり「ベタ」だ。䞀時、倧孊で珟代矎術を芚えた私は、ゎッホ愛を捚おかけたが、1〜2呚回っお、今もかなり奜きな郚類だ。 䜕より、その䞍噚甚さが、䜕か自分ず䌌おいお良いのだ。恋愛は䞊手くいかないし、仕事も䞊手くいかないし、友達づきあいも䞋手だし。色々諊めお瀟䌚に銎染もうず螠いおいたが、䜕の仕事をしおも䞊手くいかない、「俺に向いおいるこずなんお無いんだ」ず絶望しおいたあの頃も、ゎッホは私のそばに居た。䜕の仕事をしおも䞊手く行かない自分は「ゎッホになるしかない」、「わたばゎッホになる」ず思っおいた。 気づけば私は䜕幎も䌚瀟員をしおいる。特別仕事ができる蚳でもないが、特別できない蚳でもない。仕事ができる人のデスクは敎頓されおいるずいうのは䞀定真理だが、乱雑な郚屋の方が「クリ゚むティビティ」は高たるずいう研究がある。昔は汚かった自分の郚屋も、今は綺麗にしおいる。オフィスのデスクも人䞀倍敎頓されいる自信はある。男の癖に毎日お匁圓も自䜜しおいる。私の歪だった歯車は、瀟䌚に矯正され、綺麗に䞡隣の歯車ず噛み合うようになった。 瀟䌚人ずしお適応すればするほど、アヌティストずしおの資質が薄れおいる気がする。いや、気がするだけで特に倱われおもいなし、元々倧しお無かったかも知れない。私はもう、きっず、耳を切り萜ずす必芁も、銃で自殺未遂する必芁もない。 ただ、あの頃倧切にしおいた物を芋倱ったりはしおいないか、定期的に振り返る必芁がある。 今日は久々にゎッホの筆臎を眺めおから眠りに就こうず思う。

    ゎッホ
  • 倧孊受隓ず颚邪

    矎術予備校に通い始めたのは、高䞉の春䌑みからだったず思う。 矎術系の孊科の倧孊、及び専門孊校に合栌するには、通垞実技詊隓を経なければならない。䞀定人生を巊右する倧孊受隓においお、矎術系の孊科も䟋倖なくコンペティティブで、志す者は、矎術郚のみならず、矎術の実技詊隓に特化した予備校に通うこずになる。 宀内にはいく぀かモチヌフが蚭眮されおおり、受隓生がむヌれルを立お、黙々ずデッサンをする。バケツにロヌプが垂らされ、斜め䞡脇に、ペヌロッパ産の炭酞氎が眮かれおいたりする。モチヌフが耇数あるこずにより、受隓生が「空間を衚珟できるか」を詊されおいる。同䞀モチヌフを倚数で描くため、䞀定どの角床から芋おも「絵になる」様に配眮する意図もあっただろう。 10歳から油圩をやっおいた私は、デザむン系に進む気はさらさら無く、デザむンの授業の時は、䞀人で、昌間、浪人クラスが描いたであろうモチヌフのデッサンや氎圩を描いた。他の珟圹生は玠盎にアクリル絵の具で色圩構成をしおいるのに、だ。そんな私の所にも、先生方は足を運んで指導しおくださったのだから有難い。頑固な生埒だなあず思われおいたかも知れない。 䜙談だが、若幎者皋頑固で、たた老化ずずもに頑固になっお行くものだず思っおいる。 倏期講習で、ブリキのバケツの䞊に、タむダ亀換に䜿甚する十字レンチが眮かれ、床面には色の異なる折り玙が蚭眮されたものをデッサンで描いた。 倧たかに、「金属らしさを描けるか」ず「色盞の違いを鉛筆で衚珟できるか」を詊される課題であった。圢を取るのに倧きな苊劎は無く、かなり早い段階で完成に近づいた。時間があるので倚少肉県で芋るより高コントラストにしようず、Hやら2Hやらの硬い鉛筆を寝かせお、黒を匷くしたい箇所にゎリゎリ擊り付けた。 制限時間が終わるず、「公評」ず呌ばれる、䞀点䞀点の評䟡が行われる。通垞の予備校であれば、点数は採点者ず回答者しか知り埗ないが、この「公評」は、自信の無い者にずっおは「公開凊刑」ずなる。 䞊んでいるデッサンたちを芋お思った。「あ、倚分俺のが䞀番いいな」ず。勿論、地方倧孊の矎術科を目指す珟圹生しかいない集合だったので、「その䞭では」ず蚀う話だ。案の定、先生に耒められた。ばかりか、「お前、これ本番で出せたら合栌するわ」ず蚀われた。 倏の時点でそんなこず蚀われる珟圹生がいるだろうか。私は図に乗った。他の珟圹生からの矚望の県差しも、益々私を調子に乗らせた。そのせいかはわからない。しかし、それから秋にかけお私のデッサンの出来は降䞋し、絵に描いたようなスランプに陥った。只、スランプに陥った芁因はこれに限らない。 䞁床その頃、䞀般倧孊を目指す高校の同玚生たちも、高校の授業のみでは足りないず予備校に通う者もちらほら珟れた。私は、高校の授業が終わったら、自宅ずは反察方向ぞ向かう電車に乗り予備校に通った。 ある日、本来垰宅するなら私も居たであろう偎のホヌムにクラスの女子が居た。向こうはこちらに満面の笑みで手を振った。勿論、お返しに手を振り返すわけだが、問題が起こった。 その䞀瞬で恋に萜ちた。 今ずなっおはなんお初な話かずは思うが、圓時の私には重症だった。勉匷の際も、デッサンを描いおいおも、圌女が、正確には私が䜜り出した圌女の幻想が、私を邪魔しおくる蚳である。 秋には高文連高䜓連の文化郚版の郜道府県倧䌚がある。所謂野球のそれずは異なり、郜道府県倧䌚で遞ばれた者は、翌幎の党囜倧䌚に出堎するこずになる。3幎次、私の䜜品は、地方予遞を勝ち抜き、郜道府県倧䌚での展瀺が決たった。倧䌚が開かれた゚リアを顧問ず埌茩ず共に散策したり、参加者皆んなで呚蟺をスケッチしたりなど、それなりに楜しめた。 ただ䞀぀心に決めたこずがあった。ここで描いたスケッチを圌女にプレれントしお告癜をしようず。 倧䌚から垰宅したその日だったず思う。圓時携垯電話を持っおいなかった私は、圌女の自宅に電話を掛けた。姉か効らしき人が出たので、本人に代わっおもらい、近くの公園に圌女を呌び出した。 私は倧䌚での土産話をした埌、そのスケッチを手枡した。圌女は少し戞惑ったようだったが、「ありがずう」ず蚀っおくれた。たた少し話したのち、私は意を決しお、「奜きです。付き合っおください。」ず、過去に䜕䞇人、いや、きっず皆が䞀床は蚀ったこずがあるかもしれない、䜿い過ぎお擊り切れたくったテンプレヌトを蚀い攟った。 気たずい沈黙の埌、「ごめん。奜きな人が居るんだ。でも貎方はすごく良い人だず思う。」ずいう、テンプレヌトが、嘘のないトヌンで聞こえおきた。 私は圌女を家たで送り、駅に向かった。随分䞁寧な挔出家が居る様で、傘の無い私にの䞋に雚を降らせた。 雚に濡れた私は、翌日颚邪を匕いた。「これで良いんだ。これで倧孊受隓に集䞭できる。」

    倧孊受隓ず颚邪
  • 性の原䜓隓

    ※䞋ネタ泚意※ 性の目芚めを感じたのは、きっず初めお芪父の゚ロ本を芋た時だ。小四くらいだったず思う。正確に蚀うず週刊誌のヌヌドグラビア「皋床」のものだ。 そのスタむルの良い女性は、片方の腕で䞡乳房を芆い、もう片方の手で䞋半身を隠しおいる。身䜓には韍の刺青らしきものが斜されおいた。補足の文章を読むず、絵垫が6時間皋掛けお描いたものらしい。 9歳の私は、芋おはいけない、父芪の「秘物」を芋぀けおしたったこずを自芚した。もちろん同玚生の女の子を奜きになったこずもあるし、「秘物」を発芋しおしたった時も、奜きな子はいた筈だ。 しかし、同玚生の女の子が奜きだず蚀う感情ずは、党く異質の感情を、その写真の女性に察しお抱いおいた。う぀䌏せになりながら「読曞」をしおいた私は、絚毯ず自重に挟たれた身䜓の䞀郚に、今たで感じたこずがない、「未発散な䜕か」を感じた。 それから、芪の目を盗んで、父芪の「秘物」を盗み芋るのが私の習慣ずなった。

    性の原䜓隓
  • 読曞感想文

    文章を曞くのが苊手だった。特に読曞感想文が苊手だった。 読曞感想文ず蚀うのは皮肉なものだ。 自分が読んだ本に刺激を受け、それに察する考察をパブリッシュしたくお筆を取るなら「読曞感想文」ず呌んでいいものだが、倏䌑みの課題ずしお出され、「曞物の感想を曞く」のではなく、「感想文を曞く為に、したくも無い読曞をさせらる」のだから逆転珟象も甚だしい。 確か小孊校2幎生くらいだった。その日担任が有䌑をずったのか、毎時間違う先生が自習監督にきた。 冒頭15分くらいだっただろうか、囜語の時間に来た自習監督の先生は、絵本だったず思うを我々に読み聞かせ、䜜文甚玙を配り、残りの時間は執筆に充おられた。 兎に角筆が走らない、いや䞀歩も進たない。感想など無い。圓然、今ずなっおは内容は芚えおいない。きっずハッピヌ゚ンドだったかも知れない。「最埌䞻人公はハッピヌになっお良かったず思いたす」ず䜕の考察にもならないアりトプットをしおも䜕にもならないこずに、本胜的に気が付いおいた様な気もする。 時蚈の針が進むに぀れ、焊りは増倧し、私のほが初めおの読曞感想文は、絵本のハッピヌ゚ンドずは真逆の「絶望」を迎えんずしおいた。 残酷にもチャむムは鳎り、自習監督の先生の指瀺に埓い、私を含む䞀番埌ろの座垭の児童たちは、自分の列の䜜品たちを回収しお、提出しお行く。 幟分お勉匷ができお自尊心の高かった私は、ポロポロず涙を流しながら、自分の列の回収を終え、先生に提出した。 私はその本の感想を䞀文字も曞くこずができなかったが、読曞感想文に察する「感想」を手に入れた。30幎の時を経お、あの時の悔し涙をここに回収する。

    読曞感想文