中三の時の公民のテストだったと思う。
中二の半ば以降、やる気の糸が切れた私の成績は、綺麗な傾斜を描いて降下した。
そのテストは、丁度、手を抜いた分だけ100からマイナスした様なスコアだった。
アフターコロナのことは知らないが、恐らく、テスト返却後の流れは、今も昔も大体同じだろう。教師が設問1から順に、解答を板書しながら解説を加える。
全ての解説が終わると、教師は個々の配点を生徒に伝える。或いは、解答用紙に配点の記載があるかもしれない。生徒は、各配点と丸の数を掛け算し、さらその積たちを足し算などしながら、教師のつけた点数に相違がないか確認する。優秀な者は、ペケの付いた所を100からマイナスするだけでチェックができたかもしれない。大事なテストの点数だ。生徒はちは、目を光らせ、教師の採点ミスがないか、1点でも加点されないか、言うなれば粗を探す。
中には、点数が上方に誤っているのに、その申告が減点を招くのに、教師の採点ミスを申し出るものが居る。中学生のうちからそんなに徳を積んだら、輪廻から解脱してしまう。
計算間違い以外の要因で、点数が本来のものと相違しているケースがある。覚えているだろうか。
「正答を書いているのにバツが付けられている」、又は、「誤答であるのに丸が付いている」場合だ。後者は黙っていれば、ラッキー加点状態だが、前者は申告しないと本来のスコアは貰えない。
但し、そこで問題が発生する。教師の目を盗めば、「正答を書いているのにバツが付けられている」を捏造することは容易だ。
教師も人間だ。計算間違い程多くは無いにせよ、丸/バツが何故か逆に付けられることは、割と頻発する。
しかし、一つの答案用紙のうち、「正答を書いているのにバツが付けられている」ものが、三箇所発生する事態があるだろうか。せいぜい二箇所だ。
その公民の私の答案用紙では、その事態が起こっていた。
当然、私は正当な権利として、その申告の為に列に並ぶ。「ここ、合っているのにバツが付いていました。」「こっちもです。」「あと、こっちも。」
三つ目の申告で教師の手がピタリと止まり、私と目を合わせた。彼が私の不正を疑っていることはわかった。
怖いもの知らずの、スクールカースト上位の女子なら「え、先生ひどーい。私のこと疑ってるでしょ。完全に三つ間違ってたから。」で済んだかもしれない。
彼の疑念を察知した私は硬直し、却って、犯人ヅラになった。
教師は、私の顔を暫く眺めたのち、ゆっくり丸を付けた。
まあ、確かに、「お前やってるだろ。」とは中々言えまい。
そんな出来事は、記憶の引き出しに入り、その後幾年もの出来事の堆積に埋もれ、「名称未設定」と名付けられた、最下層のフォルダーにしまわれたまま、取り出されることは無かった。筈だった。
オーストラリアから帰国後、直ぐに、期限付きの美術教員として、地方に配属された。
美術のテストを廃止する学校が多い中、そこではまだ存在していた。余り気乗りはしなかったが、適当な、易しい問題を作った。一学期、二学期、三学期、毎度当て擦る様に、同じ様な問題を出した。学年末テストは特に、予想問題まで作り、暗に、いやもう明らかに、「これらが出ますよ」と伝えた。
学年末テストだったと思う。一年生の、かなり勉強が苦手な生徒が、「正答を書いているのにバツが付けられている」箇所の申告に来た。
それは、「三箇所」あった。
バカみたいに簡単に作ったテストで、私が、一人の生徒の答案用紙上に、「正答を書いているのにバツが付けられている」を三度やらかすだろうか。
その生徒への疑いというより、三箇所も間違う訳は無いという、自分の採点への信頼だった。
今となっては教員の反応として正解だったかわからないが、「本当に?」と彼に投げかけた。
生徒は、「いや、やっぱりいいです」と引き下がった。
「いいならいいか」と後追いしなかったが、起きた出来事は担任に報告した。担任は、「丸もらえなかったんだって?」と性善説的なフォローに回った。
別の二人の教師は、「絶対やってるでしょ」と僕の疑念の肩を持った。
真実はその生徒しか知らない。捏造をしたなら、私の投げかけた質問は、「嘘はいけない」という彼の学びになったかも知れない。もし、彼が白だったら?
十中八九それは無いんだが。
正解を捏造するのは、二箇所が限度だ。三箇所は多すぎる。私が中学生の時は、そのくらいの知性はあった。
彼は嘘をつくのが下手だったのかも知れないし、私は「ホントをつく」のが下手だった。

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