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  • 万能感

    私の状態を端的に表すと、才能もないのにアートを志し、30歳手前にしてビビって、社会人になるけど何もスキルがなくて鳴かず飛ばずで底辺サラリーマンしている35歳になった、といった所だろう。 勿論適性がない訳ではない。一般人レベルではかなりデッサン力のある方だし、男性としては、かなり色彩に関しセンシティブだと思う。 私が憧れた村上隆の活躍する、コンテンポラリーアートワールドで飯が食えるに足る才能があったか。現状を見れば、太陽を肉眼で見るより明らかな訳で。 若い時というのは、何かこう、「根拠のない自信」と言おうか、「万能感」と言うべきか、若さ故、無知故「自分の夢は叶うんだ」という感覚がある。少なくとも私にはあった。意外にロマンチストな男子にはあり、意外にリアリストな女子には備わっていない(あるいは男子より早期に放棄される)のかも知れない。 これは、周囲のお陰で、ある程度順調に、至極一般的な成功体験を積みながら成長できたが為に、育まれた「万能感」かも知れない。或いは、「世間一般的には、絵に描いたような凡人であることに気が付けるに足る冷静さ」の無い、無邪気な馬鹿さが育んだ「万能感」かも知れない。 大学2年の夏、課題の御影石を彫っていた。石の名前を言われてもピンと来ないかも知れないが、現代の墓石は十中八九、この御影石だ。兎に角硬い。教授は非常に職人肌な人で、我々に電気工具の使用を認めなかった。粘土で作った模型を基に、手作業で形を出さなくてはならない。朝9時から作業開始して、日が暮れるまで、鑿やその他の「手作業」道具で、チンチン音を立てる。一日の終わりに、完成した面が、たった数平方センチだけ現れる。終わりが見えない。一般的な感覚では「こんなことやって何になるんだ」で終わるだろうが、「万能感」を備えた私は盛大に勘違いを犯した。 「俺はこれを一生やるんだ」 兎に角、勘違いを起こした私は、芸大の大学院の受験に失敗し、コンテンポラリーアートを原文で学ぶには些か不十分な英語スキルを身につけ、無事に会社員として社会の歯車になっている。

    万能感
  • 彫刻

    現役で、デッサンにて9割のスコアを叩いて、大学に入学した私は浮かれていた。1年次、各学科をひと通り受講させられ、後期、2年次以降の専攻、つまり配属の研究室が決定される。通常、芸大/美大では、入試の時点で「科」を決めて受験する訳だが、飽く迄、教育学部の美術コースであるウチはそうだった。 皆、「俺は/私は油彩をやるんだ」と意気込んで入学する訳だが、1年次の成績や、希望の研究室の先生に気に入られているか否かによっては、希望は叶わない。確か、希望を紙に書いて提出ののち、教授たちによる面接が行われる。 教授たちの腹はきっと決まっていて、定員から溢れた者は、「こっちの研究室の方がいいんじゃないか」という、夢を砕く「口説き」を受けることになる。泣く者もいたかと思う。今思えば教授陣も心が痛んだかもしれないし、例年のことで淡々とこなしていたかも知れない。 10歳から油絵を描いていた私は、「今更学ぶことはない。未知の彫刻をやる。」として彫刻を選んだ。

    彫刻
  • 自分で言うのも何だが、母親にとって私は、本当に可愛い息子だったに違いない。子供が可愛いのはどの親も同じだし、その愛情を簡単に比較などできないし、その当事者として、体験/比較することはできないので、飽く迄私の主観なのだが、「平均より甘やかされた」ことは、恐らく間違いないと思う。 3月22日に生まれた私は、他の同級生に比べて明らかに小さかった。特に、小学生までは、女子の成長は著しく、幼稚園児の時、一番背の高い女子は「お姉さん」と言うより寧ろ「大人」にさえ見えた。 ある日、母は、いつも通り私を幼稚園バスに乗せるべく、玄関での準備を急いでいた。少し起床が遅かったか、私の準備がもたついていたのか、出発の時刻を遅らす私に母は苛立っていた。堪忍袋の尾が切れた母は私に「早くしなさい」と言い放ち、私を押した。学年で一番小さい私の身体は、母の予想を超えて大きく飛ばされた。覚えていないが、きっと泣いたかもしれない。 その日私は、最初で最後のお漏らしをして帰宅した。 母は「この子を急かしてはいけない」と思ったらしい。この件は、母親を平均より少しだけ過保護にしたと思う。それは少なからず私の精神的成長を妨げもしたが、一定、正常な愛着も形成した。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9D%80%E7%90%86%E8%AB%96

    母
  • 如何にして理想とのギャップを埋めるか

    私のスペックから紹介しよう。 35歳。生まれも育ちも北海道。底辺サラリーマン。 上記の通り、根本、自分の収入には満足していない。お金が腐る程欲しいかといえばそうでもない。只、何も考えず消費(他人から見れば浪費も含む)をしていると、給料日前には渇々なのである。 勿論、昇進/昇給を狙えば良いのだが、一朝一夕にはなんともし難い。お前の努力不足だと言われればそれまでだが、恐らく以下の理由にて、そこまで昇進を望んでいない。飽く迄、代わりのたくさん居るポジションに留まっていたい。責任を負いたくない。労働時間を増やしたくない。 それでいて、もっと金が欲しいと言うのだから我儘なものだ。 そこで、副業を検討するわけである。転売は以前赤字に終わったし、HTML/CSSの学習は挫折したし、クラウドワークスで何か探すも単価は安いし。客観的に見れば、只、現状の不満は言うけど、その打破の為の努力についても言い訳を並べ、「しない理由」「不満ではあるが、今の自分が出来上がっているのは仕方ないことなんだ」を語っているだけである。 こんな文章を誰に読ますつもりもない。飽く迄、自分を客観視し、頭を整理し、何か解決策を見出さんとし、これを書き連ねている。 これまた言い訳チックなのだが、今流行りの稼げる副業が何か自分に合っている気がしない。 万人に読まれ親しまれる文章も書きたくない。飽く迄、嘘のない、等身大の自分を描き出し、その蓄積が何ものかになれば幸い。 そう、何か即金になる何かを創作、提供することが自分に合っているとは思えない。何か、一見不要、役に立たない、ゴミとも思えるものの、蓄積/堆積がいつしか価値を帯びるような、そんなものを作りたい。 なんともアブストラクトな話ではあるが、そう思うのだ。一見無意味なものの蓄積、それが、私の理想とギャップを埋めるものである。そんな気がする。 間違いであれば、最期、死の瞬間、何も遺せなかったことを受け容れ、「何もできなかったけど、凡人だから仕方ないよ」と自分の亡骸に語りかけるとしよう。